番外編:ジェットコースターロマンス






 ――ある晴れた、週末の朝。
 幸運は、突然俺に降ってきた。
「ねぇ、拓巳」
 朝の教室でふいに肩を軽く叩かれ、俺は振り返る。
「お、姫。どうしたんだ?」
 その場に立っていたのは、姫だった。
 姫は可愛い顔ににっこりと微笑みを浮かべ、小首を傾げる。
 そして、こう言ったのだった。
「あのね、拓巳。明日なんだけど……何かもう予定入ってたりする?」
「明日? いや、暇だけど」
 そんな俺の言葉を聞いて、姫はパッと表情を明るくする。
 それから、嬉しそうにこう言葉を続けたのだった。
「遊園地のペア招待券を貰ったんだけど、一緒に行かないかなって」
「え?」
 俺は、その姫の言葉に瞳をぱちくりさせてしまった。
 だって今、確かにこう姫は言ったよな。
 ペア招待券って。
 それって、もしかして。
「なぁ、姫。その、ペア招待券ってことはよ……」
 おそるおそるそう言った俺に、姫はコクンと頷く。
「あ、私とふたりなんだけど、都合悪い?」
「えっ? いやっ! 全然全く何も悪くないぜっ」
 姫の言葉に、俺はブンブンと大きく首を振った。
 姫とふたりきりで出かけることなんて、そう滅多にない。
 大体、余計なヤツらがゾロゾロついてくるのがいつものパターンだ。
 なのに姫とふたりで、しかも遊園地だなんて。
 それから俺は嬉しさを抑えながらも、ふと疑問に思ったことを訊いた。
「姫こそ、俺でいいのか?」
「もちろん。拓巳って、遊園地とか好きそうだなって思って」
 ふわりと栗色の髪を揺らしながら、姫は笑顔を俺に向ける。
 ていうか、遊園地好きそうなキャラでよかった、俺っ!
 俺は心の中でガッツポーズをしつつも、姫に視線を返す。
 そして、姫の頭に軽く手を添えて言った。
「よーしっ、こうなったら開園から閉園まで遊ぶぞ、姫っ」
「うんっ。楽しみにしてるね」
 俺に再び向けられる、姫の微笑み。
 俺はこの瞬間、神の存在に全力で感謝したのだった。




 ――そして、次の日。
 小学校の頃、遠足の前の日ってなかなか眠れなかったよな。
 何かその時みたいに、妙に昨日は目が冴えて。
 姫とは毎日学校でも会ってるし、休日も大人数でだけど遊びに行ったりもよくしている。
 それに、たまにふたりで繁華街で遊んだりすることもなくはなかったんだけど。
 何でこんなに、妙に緊張してるんだ?
 俺ははあっと大きく深呼吸をし、そしてポケットから貰った招待券を取り出して見た。
 姫とふたりで、遊園地だなんて。
 こういうのって、やっぱりデートって言っていいのか?
 きっとほかのヤツらに知られたら、何て言われるか分かったもんじゃないけど。
 今回は、姫から誘ってきたんだからな。
 あー、本当に遊園地好きっぽいキャラでよかったよ、俺。
 まぁ確かに、健人とか遊園地ではしゃぎそうなキャラじゃないけどな。
 あいつの場合、姫がいればどこでも満足だろうけどよ。
 それに准のヤツが遊園地ではしゃいだりしてたら、ある意味コワイ気がするし。
 詩音は、違う意味で遊園地とか好きそうだけどな。
 祥太郎は遊園地ってよりも、賑やかなところならどこでも良さそうだ。
 ということは、だ。
 やっぱりこの俺が、一番遊園地デートの相手に相応しいってことだな、うん。
 俺はそう納得し、ちらりと腕時計に目を向ける。
 このまま行けば、待ち合わせ時間には間に合いそうだな。
 いつもなら待ち合わせ時間とか気にしないけど、今日はちょっと違う。
 せっかく姫が誘ってくれたんだ、遅れるわけにはいかないだろ。
 まぁ、あまり熟睡できなかったから早く起きたってのもあるけどな。
 姫は時間にルーズじゃないから、もう待ち合わせ場所に来てるかもしれない。
 そう思いながら、俺は逸る気持ちを抑えきれずに歩く速度を上げる。
 ……そして。
「あ、拓巳。おはよう」
 思った通り、もう姫は待ち合わせ場所に来ていた。
 ていうかよ……。
 もちろん、見慣れた制服姿も可愛いけど。
 見慣れない私服がまた新鮮で、すげー可愛い。
 髪型も、何かちょっといつもと違う感じだし。
 こういうことって、ツッコんだ方が女って喜ぶんだろうか?
 俺は微妙に緊張しながらも、なるべくさり気なくツッコんでみることにした。
「おう、おはよう、姫。何か今日のその髪、可愛いな」
「本当に? ちょっと横を編みこんでみたりしたんだけど、嬉しいな」
 大きな瞳を細め、少し照れたように姫は髪をそっと触った。
 おいおいおい、何かすごくいい感じじゃねーか?
 この調子で頑張れよ、俺っ。
 まだまだ姫とふたりきりの時間は、たくさんあるんだからな。
「じゃあ行こうか、拓巳。今から行けば、ちょうど開園時間くらいに着きそうだね」
 俺の心を知ってか知らずか、姫は楽しそうに笑って、俺の手を引いて歩き始めた。
 細い姫の指先が触れ、俺は妙にドキドキしてしまう。
 そんな気持ちを悟られまいと、俺は誤魔化すように前髪をかき上げた。
 そして頷き、姫と並んで歩き出したのだった。




 開園と同時に遊園地に着いた俺たちは、これでもかってくらい遊びまくった。
 姫は見かけによらず、上がったり下がったり回ったりうねったりする乗り物が大好きみたいで。
 もうジェットコースターなんて、何度乗ったか分からないくらいだ。
 しかも、ジェットコースターは最後方が一番面白いとか言うし、なかなか通っぽい。
 まぁ、俺もスピード感がある乗り物の方が大好きだから全然構わないけどな。
 乗り物に怖がる女にしがみつかれるってのも、ある意味男のロマンだけど。
 でも俺は、やっぱり一緒にワイワイはしゃげるような感じの女の方がいいな。
 そういう意味でも、姫と一緒に遊園地に来られてよかった。
 姫って一見のんびりしていて、大人しい感じに見えるんだけど。
 屈託なくよく笑うし、どこに行ってもいつも楽しそうだ。
 好奇心や挑戦心も旺盛だし、何気に肝も据わっている。
 ちょっとマニアックっぽい変わったところもあるけど、そういうところも一緒にいて楽しいし。
 そして俺は、この日何度も思ったのだった。
 今日という日が、永遠に終わって欲しくないって。
 そしたら、あと何回シェットコースターに乗ることになるか分からないけどな。
 でも、姫と一緒なら。
 何百回、何万回って乗ってやるぞ、俺は。
 だがそんな気持ちも虚しく、楽しい時間ってのはあっという間に過ぎるもので。
 青く晴れ渡っていた空も、今はもうすっかり夜の闇が支配している。
 そして、遊園地の閉園時間が迫っていた。
 姫はちらりと時計を見て時間を確認してから、俺に視線を向ける。
 それから、こう言ったのだった。
「ねぇ、拓巳。最後に、観覧車乗ろうか」
「そうだな。何気に観覧車、乗ってなかったな」
 回ったりうねったりする乗り物ばっかり乗ってたから気がつかなかったけど、そういえば観覧車に乗ってなかったっけ。
 そう思い、俺は素直に姫の提案に頷いた。
 姫は俺の返事を聞いて、嬉しそうに微笑む。
 そんな顔されたら、俺まで嬉しくなっちまうじゃねーかよ。
 いや、今日は一日中嬉しいんだけどな。
 それから俺たちは、ピカピカとライトアップされた観覧車に乗り込んだ。
「私ね、高いところすっごく大好きなんだっ」
 姫はそう言って、楽しそうな笑顔を宿す。
「俺も大好きだぜ、高いところ。何かワクワクするよな」
「うんっ。ワクワクするよね」
 姫は子供のようにはしゃいだ様子で、次第に高度を上げる観覧車の外を見つめている。
 そして、その時……俺は、ふとあることに気がついたのだった。
 狭い観覧車という、密室の中で。
 姫と今、ふたりっきりだということに。
 何だこれ、かなりおいしすぎるじゃねーかっ。
 そう思いつつも、そんな現状に気がついてしまった俺は、普通に外の景色とか見てられなくなってしまった。
 目の前の姫はというと、相変わらずニコニコしながら外を見つめている。
 うっすらと暗い観覧車の中の姫の横顔は、ライトアップされた観覧車の明かりでいろんな色に染まっていた。
 くそぅ、可愛い……。
 無邪気な姿がまた、何て可愛いんだ。
 ていうか俺、ちょっと外とか見た方がいいんじゃないか?
 さっきから俺は、姫のことばかり見ていた。
 俺は気持ちを落ち着かせるために、観覧車の外に目を向ける。
 様々な色をしたネオンの明かりが、夜の都会を幻想的に彩っていた。
「ねぇ見て、拓巳。あそこって、学校の近くかな?」
「えっ?」
 急に姫に声を掛けられて妙にドキドキしながらも、俺は立ち上がって姫の指差す方に視線を移す。
「学校はこっちじゃないか? んで、俺んちはあっちかな」
「あ、そうだね。じゃあ、私の家はこっちかな?」
 姫はぽんっと手を叩き、うんうんと納得したように頷いた。
 俺はそんな姫に微笑んでから、再び椅子に座ろうとする。
 だが、その時だった。
「拓巳」
 ふと姫が、俺を呼ぶ。
 そして上目遣いで、じっと俺を見つめたのだった。
 吸い込まれそうな姫の両の目に、俺は思わず見惚れてしまう。
 姫はにっこりとそんな俺に笑顔を向け、口を開いた。
「拓巳、今日はすごく楽しかったよ。遊園地に付き合ってくれて、どうもありがとう」
「いや、礼を言うのは俺の方だぜ。俺もめちゃめちゃ楽しかったよ、姫」
 そんな俺の言葉に、姫は嬉しそうに大きな瞳を細める。
 それから、こう続けたのだった。
「拓巳と一緒にいるとね、すごく楽しいんだ、私。だから、今日も拓巳のこと誘ったの」
「姫……」
 俺だけを映す、姫のブラウンの目。
 俺はふと、姫の隣に座った。
 それと同時に、ふわりとシャンプーのいい香りが鼻をくすぐる。
 そして……俺たちの乗ったゴンドラが、一番頂上に来た時。
「姫」
 短く、今度は俺が姫を呼ぶ。
 ふっと姫のつぶらな瞳が、再び俺の姿を映した。
 俺は、そっと姫の頬に手を添える。
 そんな俺の手の感触に照れたような仕草をしつつも、姫はおもむろにその両の目を閉じた。
 さっきまでは、あんなに心臓がドキドキしていたはずなのに。
 妙に今、落ち着いている。
 俺は姫の頬にかかる栗色の髪を優しく払った後、姫の顎を少しだけ持ち上げた。
 ――そして。
 ピンク色をした姫の柔らかい唇に、自分のものをゆっくりと重ねたのだった……。




   




 ――……ピ、ピピッ、ピピッ。
 耳元で、何かがうるさく鳴っている。
 何だよ、人がせっかくいい夢見てたってのに。
「……って、夢かよっ!?」
 そう叫んでガバッと布団から飛び起き、俺はまだ少しボーッとしている頭を振った。
 それから八つ当たりするようにガンッと目覚ましを止めた後、ガクリと大きな脱力感を感じる。
 やたら話がうますぎると思ったら。
 遊園地デートは、夢だったのかよ……。
 はあっと大きく溜め息をつき、俺は頭を抱える。
 ていうか、あんな少女漫画ちっくな夢見るなんて。
 どんな欲求不満なんだ、俺は。
 そう思いつつ微妙に自己嫌悪に陥りながらも、俺は学校へ行くべく布団から出たのだった。
 それからいつも通りの時間に学校に着いて、いつも通り教室へと向かう。
 普段と何ら変わりもない、朝。
 俺は2年Bクラスの教室に足を踏み入れ、もう一度深々と嘆息した。
 夢ってオチが、かなり虚しいといえば虚しいけど。
 でも、いい夢だったことには違いない。
 たまには、ああいう少女漫画ちっくな夢もいいんじゃないか。
 ……そう思わないと、何だかまともに今日、姫の顔を見れそうにない。
 俺は漆黒の髪をかき上げた後、自分の席へと向かった。
 ――その時だった。
「ねぇ、拓巳」
 ふと背後から声を掛けられ、俺は振り返る。
 そこにいたのは。
「わっ! ひ、姫っ」
 何だか妙に慌ててしまった俺は、異様なくらいに瞬きをしてしまう。
 姫はそんな様子の俺に小さく首を傾げた後、気を取り直して微笑みを浮かべた。
 この笑顔が反則なんだよな、本当に……。
 そして。
 そんなことを思っていた俺に、姫は続けてこう言ったのだった。
「あのね、拓巳。明日なんだけど……何かもう予定入ってたりする?」
「えっ?」
 俺はこの時、自分の耳を疑った。
 ちょっと待て、これって夢のままじゃないか?
 もしかしてあれは、正夢!?
 俺は驚いた表情を浮かべつつも、大きく首を横に振る。
「暇だよ、すっげー明日暇なんだ、俺っ」
「本当に? 遊園地の招待券を貰ったんだけど、行かないかなって思って」
「行く! もちろん行くよ、姫っ」
 即答する俺に、姫は嬉しそうに笑顔を浮かべる。
 これって、間違いなく絶対に正夢だ。
 神様、マジでありがとうっ!
 俺は夢と同じく、神様に感謝した。
 ……だが、次の瞬間。
 姫はその可愛らしい顔ににっこりと笑みを宿すと、楽しそうにこう続けたのだった。
「よかったっ。じゃあ、ほかのみんなにも声をかけてみるねっ」
「え? ほかの、みんな?」
「うん。映研のみんなと、あと梨華も誘おうかなって」
 ……神様ってヤツは、やっぱりいないらしい。
 俺はこの時、そう強く思ったのだった。
 ていうか神様のヤツ、あんな夢見せるなんて、ぬか喜びさせやがってっ。
 まぁ、これが現実ってコトくらい分かってるんだけどな。
「拓巳、どうしたの?」
 途端にテンションの下がった俺に、姫は不思議そうに首を傾げる。
 俺は誤魔化すように無理に笑い、そんな姫に何とかこう言葉を返した。
「いや……遊園地、楽しみだな……」
「うんっ、楽しみだねっ」
 俺の気持ちも知らず、姫は本当に楽しそうに頷く。
 ていうか、そんな姫の様子がまた可愛い……。
 まぁ、ふたりきりじゃないにしろ、姫と一緒に遊園地には行けるわけだし。
 俺はふっと小さく息をついた後、気を取り直して姫に微笑む。
「よーしっ、こうなったら開園から閉園まで遊ぶぞ、姫っ」
「ふふ、そうだね。いっぱいジェットコースター乗ろうね」
「おうっ、受けてたつぜ。何回でも乗ってやるぞ、俺は」
 ニッと口元に笑みを浮かべ、俺はグリグリと姫の頭を撫でた。
 本当のジェットコースターロマンスは、今はまだ夢のまた夢かもしれないけど。
 楽しそうに笑う姫と、一緒の時間を過ごせる。
 それだけでも、俺は幸運なのかもしれない。
 それから、俺は。
 神様に――ほんの少しだけ、感謝したのだった。

 FIN





番外編「ジェットコースターロマンス」あとがき