――4月7日・始業式。
 暖かい風が吹く、気持ちのいい春の陽気。
 今日から高校2年に進級する眞姫は、頬をくすぐる風に瞳を細めて学校への道を歩いていた。
 久しぶりに制服に袖を通して新しい学年の始まりを感じ、期待に胸を膨らませる。
 そしてはらはらと舞う桜の花びらを見つめ、眞姫は去年の桜の時期を思い出していた。
 桜が咲き乱れる中、初めてこの制服を着た1年前が随分と昔のように思える。
 眞姫はそんな感慨に耽りながら、ゆっくりと地下鉄の駅の階段を下り始めた。
 ちらりと時計を見た後、眞姫はポケットから定期券を取り出した。
 今日は始業式のため、いつもの登校時間よりも遅い時間である。
 改札口を通って少し混んでいるホームに入った眞姫は、タッタッと小走りでいつも乗る車両の停車位置へと歩を進めた。
 それから小首を傾げ、にっこりと微笑んで言った。
「健人、おはよう」
「おはよう、姫」
 綺麗なブルーアイを嬉しそうに細め、ホームで彼女を待っていた健人は挨拶を返す。
 眞姫はそんな彼の隣に並び、はあっと息を吐いて胸に手を当てた。
「今日から新学年だね。クラス替え、ドキドキしちゃうね」
「ああ。2年こそ、姫と同じクラスだといいよ」
 切実な願いを込めて、眞姫を見つめながら健人はそう呟く。
 そんな健人の祈りに近いその言葉に、眞姫は全く悪びれのない笑顔で言ったのだった。
「そうだね、みんなで一緒のクラスになれればいいよね」
「…………」
 相変わらずの眞姫の言葉に、健人は大きく嘆息する。
 それから苦笑し、金色に近いブラウンの前髪をかき上げた。
「本当に姫って、相変わらずだな」
「え? 相変わらずって、何が?」
 ぼそっと呟くように言った健人の言葉を聞いて、眞姫は不思議そうな顔をする。
 健人はふうっと小さく溜め息をつきながらも、眞姫らしい反応にふっと笑った。
「いや。何でもないよ、姫」
「?」
 眞姫はきょとんとして首を傾げ、不思議そうに上目使いで健人を見る。
 そんな彼女の頭に軽くぽんっと手を添え、健人は何も言わずに微笑んだ。
 そして数分後、ホームに電車が到着し、ふたりは人の流れに逆らわずに車内へ乗り込む。
 ぎゅうぎゅうの満員電車にも慣れたように、眞姫と健人は久しぶりの登校時間を談笑して楽しんだのだった。
 健人は自分の隣で楽しそうに笑う眞姫を見つめながら、学校の始まった新学期もまたふたりだけの朝の登校時間が過ごせることを嬉しく感じる。
 そしてつくづく、眞姫と家が近くでよかったと思ったのだった。
 それから電車を降りて駅を出て、同じ制服を着た生徒たちがぞろぞろと同じ方向へと歩き出す。
 久々の学校への道のりは、満開を少し過ぎた桜の花びらでピンク色に染まっている。
 そんな中をしばらく歩いたふたりは、学校に到着して校門をくぐった。
 新学年が始まる学校内は、心なしかいつもよりも生徒たちの声で賑やかな気がする。
 それは何よりも、一大イベントであるクラス替えの発表があるからであろう。
 一旦健人と分かれて靴を履き替えていた眞姫は、靴箱で顔を合わせた1年の時のクラスメイトと挨拶を交わす。
「おはよう、クラス替えドキドキするよね」
「おはよう、清家さん。クラス発表、もう掲示板に貼ってあるみたいよ?」
 眞姫の言葉に、クラスメイトは掲示板の方に視線を向けた。
 それにつられて、眞姫も同じ方向に目を移す。
 そんな掲示板の前は、大勢の生徒たちで人だかりができていた。
 その時。
「姫、もうクラス発表されてるらしいぞ」
 掲示板の混雑に気がついた健人は、眞姫の靴箱まで彼女を迎えに来たのだった。
「そうみたいね。早く行こう、健人」
 眞姫は緊張したようにふうっと深呼吸し、そして健人の手を引く。
 急に感じた眞姫の細い指先の感触に微笑んだ後、健人は頷いた。
 それからふたりは、人だかりのできている掲示板の前まで足を運ぶ。
 だが、人が多くてなかなか自分のクラスが確認できないでいた。
 その時。
「おっ、姫! 待ってたぜっ!」
「おはよう、姫に健人」
「おはようさんっ、お姫様。新学期に入ってもやっぱり姫は可愛いなぁ」
「ご機嫌いかがかな、僕のお姫様と青い瞳の騎士」
 うーんと背伸びしていた眞姫は、ふと振り返る。
 そして、先に来ていた少年たちににっこりと微笑んだ。
「おはよう、みんな。もうクラス替え、見た? なかなかここからじゃ遠くて見えなくて」
 その眞姫の言葉に、少年たちはそれぞれの反応を示す。
 そんな彼らひとりひとりに浮かぶ表情を見るだけで、はっきりと明暗が見て取れたのである。
「姫! これから1年間、よろしくなっ!」
 これ以上ないといったような嬉しそうな表情で、拓巳はぎゅっと眞姫の手を握り締める。
 准ははしゃぐ拓巳の様子に仕方ないなといった視線を向けながらも、柔らかな微笑みを浮かべた。
「はしゃぎすぎだよ、拓巳。僕とも一緒だってこと、忘れないでよね」
 逆に祥太郎はガクリと肩を落とし、はあっと大きく溜め息をつく。
 それから先程から黙って掲示板に目を向けている健人の肩をぽんぽんっと叩いて言った。
「健人……ふたりで協力して拓巳をボコる計画でも立てるか? あーもうついてないわ……」
「…………」
 健人は信じられないように掲示板に青い瞳を向けたまま、呆然としている。
 祥太郎の言葉に怪訝な顔をし、拓巳は漆黒の髪をかき上げた。
「何で俺だけボコられなきゃなんねーんだよっ、准だって一緒だろ?」
「ていうか……本気でボコっていいか? 拓巳」
 ふっと振り返った健人は、冗談と思えないような低いトーンの声でぼそっとそう呟いたのだった。
 背が低いためにまだ自分のクラスが確認できない眞姫は、そんな少年たちの様子に不思議そうな顔をする。
 そして、恐る恐る言った。
「クラス替え、どうだったの? ここからじゃよく見えないんだけど」
 准はそんな眞姫の問いに答える。
「拓巳と僕が姫と同じBクラスで、祥太郎と健人が同じAクラスだったんだ」
「詩音くんは何クラスだったの?」
 ふと自分の隣で相変わらず笑みを絶やさない詩音に目を向け、眞姫は聞いた。
 詩音は色素の薄い瞳を細め、そして眞姫の問いに答える。
「僕はね、お姫様。フェアリーのFクラスだよ」
「フェアリーの、Fクラス……何だか、詩音くんにぴったりだね」
 ひとりマイペースな詩音の様子に、眞姫は何故か感心したようにそう言った。
 その時。
「おはよう、眞姫っ。また1年、同じクラスだねぇっ」
 ぽんっと背後から肩を叩かれて、眞姫は振り返る。
 それからにっこり微笑み、その少女・梨華に視線を向けた。
「あっ、梨華も同じBクラス? 嬉しいな、よろしくねっ」
「何だよ、立花も同じクラスだったのかよ」
 ふとそう言う拓巳に、梨華はわざとらしく溜め息をつく。
「小椋くんと同じクラスなんて、手がかかりそうねぇっ。あ、でも保護者の芝草くんがいるから大丈夫かしら?」
「え? まさか立花さん、問題児を僕に押し付ける気?」
「何だよっ、誰が問題児だってんだよっ」
 むっとした表情を浮かべ、拓巳は准と梨華をじろっと見た。
 そんなお姫様と同じクラスになったメンツの会話を聞いて、祥太郎は苦笑する。
「ああ、せっかく問題児たっくんの面倒から開放されたかと思ったのに、よりによって今度は健人と一緒かい。ま、1年の時は男子クラスやったけど今度は混クラっちゅーことだけがせめてもの慰めやな」
「どういう意味だ、それ」
 青い瞳を祥太郎に向け、健人は怪訝な表情を浮かべる。
 そんな祥太郎にちらりと視線を向け、梨華は小さな声で呟いた。
「また祥太郎と一緒のクラスになれなかったな……」
 ふと俯く梨華の様子に気がつき、眞姫は彼女に優しく微笑んだ。
「梨華、そろそろ教室に行こうか。じゃあみんな、また放課後ね」
「あ、うん。それじゃあ祥太郎たち、またね」
 眞姫の言葉に笑顔を作って、梨華はコクンと頷く。
「今日は部活の日だからね、忘れないようにね」
 准は部長らしく祥太郎たちに釘をさし、女ふたりに続いて歩き出した。
 それから拓巳もニッと笑みを浮かべ、准に続けて言った。
「んじゃ、またなっ。さ、行こうぜ姫っ」
 上機嫌な様子で眞姫たちと教室に向かう拓巳に、祥太郎と健人は大きく溜め息をつく。
 そして、ふたり揃って言ったのだった。
「……本当にボコってもいいか? あいつ」
「いいと思うで、むしろ喜んで手伝うわ」
 そんな少年たちの様子を黙って見つめていた詩音は、ひとり優雅な微笑みを浮かべる。
 それから暗い顔をする少年たちの肩を慰めるようにポンッと叩き、笑った。
「王子のように心を広く持たないとダメだよ、騎士たち。まぁ僕とお姫様は、運命の赤い糸で繋がっているんだけどね」
「余裕やなぁ、王子様。騎士はめっちゃお姫様と同じクラスになりたかったんやけどな。それにな、健人は毎日お姫様と一緒に学校通っとるんやからいいやんか。俺に言わせたら贅沢やで?」
 はあっと嘆息した後、もう一度掲示板に目を向けた祥太郎だったが。
 その時、ふと何かに気がついてその表情を変える。
 それから気を取り直してニッと笑い、言葉を続けたのだった。
「たっくん、お姫様と同じクラスで舞い上がっとったけど……肝心なコト見てないみたいやな」
「祥太郎?」
「ほら、あれ見てみいや」
 首を傾げる健人を見てから、そして祥太郎はクラス替えが発表されている掲示板を指さしたのだった。
 ――それから、数分後。
 2年Bクラスの教室で、愛しのお姫様と念願の同じクラスになれて上機嫌な拓巳と、表には出さないがやはり嬉しそうな准は眞姫に視線を向ける。
「本当に姫と一緒のクラスになれてよかったぜっ」
「これからの1年もよろしくね、姫」
 そんなふたりの言葉に、眞姫はにっこりと微笑む。
「うん。拓巳や准くんや梨華と同じクラスで、本当に嬉しいよ。本当はみんな一緒がよかったけど……健人や祥ちゃんとは、3年で一緒になりたいな」
 そして眞姫は、ブラウンの瞳を細めてこう続けたのだった。
「それに担任の先生も、1年の時と同じ鳴海先生なんでしょう? よかったよね」
「……え?」
 その眞姫の言葉に、拓巳は驚いたような表情をする。
 准はそんな拓巳の反応に大きく溜め息をついた。
「拓巳、Bクラスの担任は鳴海先生だよ」
「なっ、鳴海のヤツが担任なのかよっ!? うそだろ……」
 先程までウキウキだった拓巳は、途端に怪訝な顔をする。
 准はちらりと視線を向けて、言葉を続けた。
「掲示板ちゃんと見てなかったの? まったく、先が思いやられるよ……」
「うそだろっ!? 姫と同じクラスなのは嬉しすぎだけど、担任がよりによって鳴海かよっ」
 そう拓巳が頭を抱えた、その時。
 おもむろに鳴り出したチャイムと同時に、教室のドアがガラリと開いた。
 拓巳は視線を開けられたドアに向け、思わずげっと呟く。
 そんな拓巳の視線の先には……相変わらず近寄りがたい雰囲気を醸し出しBクラスの教室に入って来た、鳴海先生その人の姿が映っていたのだった。




 ――その日の放課後。
 始業式も帰りのホームルームも午前中で終わり、眞姫と少年たちはミーティングの行われる視聴覚準備室に集まり、所定の席についていた。
 いつものように指定時間ちょうどに現れた鳴海先生は、そんな部員たちを一通り見回す。
 眞姫と同じクラスになれなかった健人と祥太郎、そして早速初日のホームルームから目をつけられて部活前に個人的に呼び出されて小言をくらった拓巳は、それぞれ先生に対して怪訝な顔をしている。
 そんな不服そうな少年たちの様子を気にも留めず、先生は淡々と言葉を発した。
「今日から新学年の始まりだ。前年度にも増して何事にも気を引き締めるように。いいな」
 それから先生は、切れ長の瞳をふっと細めて続ける。
「それに、“邪者”の動きも本格化してくるだろう。だがこちら側としても、そんな“邪者”の動きに一歩も退く気は毛頭ない」
「当たり前だ、んなことはよっ」
 面白くなさそうに机に頬杖をつきながら、拓巳は漆黒の瞳を先生に向ける。
 そんな拓巳にちらりと視線を移した後、先生は言った。
「私が以前言ったことを忘れたか? 威勢だけは立派にあっても、今のおまえら程度の力では“邪体変化”を使用した“邪者四天王”相手に分が悪いと言っているんだ。勉学にも言えることだが、日々の鍛錬を忘れるな」
 はあっとわざとらしく嘆息して少年たちにそう言った後、先生は今度は眞姫に目を向ける。
 急に先生の切れ長の瞳が自分を映したことに気がつき、眞姫はドキッとした。
 先生はそれからおもむろにその瞳を伏せた後、口を開く。
「清家、おまえはくれぐれも無理をするな。学校では常に“能力者”のいずれかと行動をともにしろ。これからは特に、だ」
「え? あ、はい」
 真剣な面持ちで、眞姫は素直にこくんと頷いた。
 そして先生はちらりと教室内の時計を見た後、短いミーティングを締めくくったのだった。
「今日は新学年初日であるため、ミーティングはこれで終了する。何かあり次第、各々に指示を与える。以上だ」
 その先生の言葉を聞いて、少年たちはおもむろに席を立ち始める。
 先生はそんな少年たちを見つめたまま、ふと何かを考える仕草をした。
 そして部員の最後に部屋を出ようとした詩音は、先生をふと振り返る。
 それから上品な顔に笑顔を浮かべ、言ったのだった。
「先生、例の彼のことはまだ言わなくてよかったのかな?」
「…………」
 詩音のその言葉に、先生は無言で切れ長の瞳を向ける。
 そして深く溜め息をつき、威圧的に答えた。
「言っただろう、何かあればおっておまえらにも指示を与えると。それが私の判断だ」
「例の彼のことは、まだ騎士たちやお姫様には黙っておくってことだね」
 くすっと笑った後、詩音は先生を残して部屋を出て行く。
 先生はブラウンの前髪をふっとかき上げ、そして最後に準備室を後にしたのだった。
 ――それからミーティングも終わり、先生が職員室へ戻った後。
「姫、一緒に帰ろう」
 クラスが違うのならばせめて下校は一緒にと、健人は眞姫にブルーアイを向ける。
 眞姫はそんな健人に、にっこりと微笑んだ。
「うん、健人。帰ろうか」
「帰りにどこか寄っていかないか? まだ時間も早いしな。それか明日入学式で休みだから、ふたりきりでどこか出かけるか?」
 ほかの少年たちをちらりと見て、ふたりきりという部分を強調しつつ健人は眞姫にそう提案する。
 准はそんな健人の言葉に、大きく首を振った。
「残念だけど健人、明日は姫は学校なんだよ」
「え? 何でだよ、在校生は明日の入学式は休みなんじゃねぇのか?」
 准の言葉に、拓巳は不思議そうに首を捻る。
 眞姫は拓巳に目を向け、彼の疑問に答えた。
「前年度の学級委員がね、明日の入学式の手伝いをすることになってるの。ね、准くん」
「姫、明日何時くらいに学校来る? あ、入学式って午前中だから、帰りにどこか寄って帰ろうか」
 1年の時に眞姫と同様学級委員を務めていた准は、そう言ってにっこりと笑顔を浮かべる。
 祥太郎はそんな准を見て、はあっと嘆息した。
「何気に部長、一番オイシイところ持ってってないか? 2年連続でお姫様と同じクラスやしなぁ」
「オイシイって、そんなことないよ。副部長がもっと副部長らしいことしてくれたら、少しは楽かもしれないんだけどね」
 そう冷たく言った准に、祥太郎はわははと笑う。
「またまたぁ、んじゃ今度映研部員でパーッとまた桜でも愛でに行くか?」
「いや、それって部長は部長でも宴会部長だし」
 冷静にツッこんでから、准はじろっと祥太郎に目を向ける。
 健人はそんな少年たちの会話を後目に、再び眞姫の姿を青い瞳に映した。
 そして、改めて言った。
「じゃあ姫、帰ろう」
「うん、帰ろうか健人。じゃあみんな、また学校でね」
 カバンを手に取り、眞姫は少年たちをぐるりと見回す。
「おう、またな」
「また明日ね、姫」
「お姫様、今度ハンサムくんとデートしてなっ」
「また王子と運命の再会をしようね、僕のお姫様」
 少年たちはそれぞれ、彼女に軽く手を上げた。
 健人はそんな眞姫に優しくブルーアイを向けた後、無邪気に手を振る彼女を伴って部室を出て行く。
 ふたりが部室を出て下校した後、今まで口数の少なかった詩音はふと顔を上げた。
 そして、色素の薄い瞳を細めて言ったのだった。
「例の彼に気をつけてね、僕のお姫様……」




 ――その日の夜。
 鳴海先生は一人暮らしをしている都内の高級マンションの一室で、ある書類に目を通していた。
 それからふと、顔を上げる。
 シンと静かだったリビングの沈黙を破るように、携帯の着信音が鳴り響き始めたからである。
 先生は着信表示で相手を確認した後、ピッと通話ボタンを押す。
「もしもし」
『ご機嫌いかがかな、将吾。私だよ』
 耳に聞こえてくる上品で物腰柔らかなその声とは対称的に、先生は淡々と言った。
「何か用ですか?」
『何って、明日は入学式だから君に会えるしね。それに、お姫様にも会えるだろう? 楽しみだな』
 先生の冷たい対応にも慣れた様に、その電話の相手・傘の紳士は笑う。
 先生はそんな紳士の言葉に怪訝な表情を浮かべた。
「言っておきますが、明日は我が校の経営者として新入生の入学の祝辞を述べに来られるのでしょう? その経営者の貴方が個人的な行動を取り、その職務を忘れてもらっては職員としても困りますので」
『ふふ、分かっているよ。それに考えてごらん? 今までも私は、やるべきことはきちんとやっているだろう? 心配いらないよ』
 先生との会話を楽しむように、紳士は電話の向こうで微笑む。
 先生ははあっと大きく嘆息した後、呆れたように続ける。
「確かに貴方はやるべきことはきちんとこなされていますが、突発的で余計な行動も多いですからね」
『余計なこと? 私は私なりにいろいろと考えてるつもりなんだけどね。……それはともかく、だよ』
 そう言って笑った後、紳士はふと声のトーンを変える。
 それからゆっくりと、言葉を続けた。
『例の彼の件だが、私の方で作成した資料は目を通してもらえたかな?』
 先生はその先生の言葉にふと瞳を細める。
 そして持っていた書類に視線を落とし、頷いた。
「ええ。これで杜木も……“邪者”も、本格的に動き出すと考えていいでしょう」
『……おそらく、君の言う通りだろうね』
 先生の心情を察しながらも、紳士は彼の意見に同意する。
 それからそんな息子に、ふっと優しい声で続けたのだった。
『“邪者”は確かにこれから動き出すかもしれないが……私は君のことを信用しているからね、心配はしていないよ。明日は君にもお姫様にも会えるし、楽しみにしているよ』
「明日は、くれぐれも余計な行動は慎んでください。お願いします」
 その言葉にブラウンの瞳を細め、先生はもう一度溜め息をつく。
 紳士は楽しそうに笑って言った。
『大丈夫だよ、将吾。それでは明日。おやすみ、将吾』
「ええ。それではまた」
 父との会話が終わり、先生は携帯の通話終了ボタンを押す。
 今日の夜、父から何かしらの連絡があるだろうと先生は分かっていた。
 その理由は、明日の入学式に学園の経営者である父も出席するということもあったのだが……。
 先生は小さく一息つき、書類を几帳面にファイルにしまう。
 そして父と同じブラウンの髪を、そっとかき上げたのだった。