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 ――ここは、どこ?


 柔らかな月明かりに照らされた眞姫は、優しく吹きつける風で乱れた栗色の髪をそっと撫でた。
 風に揺られ、咲き乱れた花たちがザワッと音をたてる。
 花びらがハラハラと舞い落ちる中を、眞姫はゆっくりと歩き始めた。
 そんな眞姫の大きな瞳には、月光に照らされた一面の花畑しか映っていない。
 どこまで続くのか分からない花畑を歩いていた眞姫は、大きな瞳を天に向ける。
 彼女を優しく見つめ返すのは、雲ひとつない夜空に悠然と輝く満月。
 世界を柔らかく照らすその輝きは、不思議と眞姫の心を安心させた。
 その時。
 眞姫は、ふっと後ろを振り返る。
 そして大きな瞳をより一層見開いた。
 眞姫の瞳に映ったのは、美しく輝く月さえも付き従わせるほどの神々しい光。
 背中を流れるブラウンの髪と、同じ色の凛とした輝きを秘める瞳。
 眞姫の目の前に現れたのは、ひとりの女性だった。
 その女性の雰囲気は、眞姫の知っている誰かにとてもよく似ている気がした。
 そして数歩眞姫に近付いた女性は、スッと細くてしなやかな手を伸ばす。
「……!」
 眞姫は次の瞬間、驚いたような表情を浮かべた。
 女性の手が……眞姫の肩を、優しく抱いたのだ。
 そしてはっきりとした澄んだ声で言った。
「よくここまで来ました、頑張りましたね」
「え?」
 栗色の髪をそっと撫でられ、眞姫は女性の言葉に顔を上げる。
 女性はブラウンの瞳を細めて言葉を続けた。
「これから貴女には、たくさんの試練が待っています。その中でこれだけは忘れてはいけません。貴女の力は、人々を平等に救うための力なのです」
「人々を、平等に?」
「怒り、悲しみ、憎しみ……人間が人間らしくあるための感情ではありますが、度を越えるとそれは悲劇しか生み出さない。人間が人間らしくいられなくなる大きな原因にもなりかねないのです。それを癒すことができるのが、貴女の能力」
 女性の手からは優しい温もりが感じられる。
 その柔らかな光は、母のような慈愛に満ちた不思議な雰囲気を持っていた。
 女性はもう一度ブラウンの瞳を細めると、ゆっくりと歌を歌い始める。
 子守唄のようなその歌は、はじめて聞くものとは思えないような懐かしさがあった。
 そしてその歌詞ひとつひとつを眞姫に言い聞かせるかのように、女性は歌い続けたのだった。




 ……目覚ましの無機質な電子音が、耳元で鳴り始める。
 手を伸ばしてそれを止めた少女・清家眞姫は、大きな瞳を擦った。
「う、ん……さっきの夢、は?」
 そう呟き、眞姫はゆっくりと上体を起こす。
 乱れている髪を手櫛で整え、そして額に手を当てて瞳を伏せた。
「っ、痛……っ」
 はしった痛みに顔を顰めて、眞姫はサイドテーブルに置かれた体温計を手に取る。
 それを脇に挟み、時計をちらりと見た。
 朝の6時半。
 普段なら、学校に行く準備を始める時間である。
 ズキズキと痛む頭を抱えながら、眞姫はふうっと大きく息を吐く。
 しばらくしてピピッと体温計が計測終了を知らせ、眞姫はそれを見た。
「……今日も学校行けないのかな」
 そう言って、再び大きく嘆息する。
 体温計は39度近い数字を示していた。
 ここ数日、眞姫は発熱のために学校を欠席している。
 身体中熱を帯びていることが自分でも分かっていたが、今日欠席すると3日間学校に行かないことになる。
「准くんが授業のノート取っててくれるって言ってくれてるけど、学級委員会の議題決めも提案もみんな准くんに任せっ放しだし……今日は行きたいのにな」
 そんな眞姫の意志と反して、激しい頭痛は相変わらず治まらない。
 熱で赤みのさしている頬に手を当ててから、頭痛を堪えて眞姫はゆっくりとベッドから出る。
 そして空いたコップと体温計を手にして、部屋を出たのだった。




 ――12月10日・金曜日。
 その青い瞳の少年・蒼井健人は携帯電話を取り出し、先程受信したメールを見て溜め息をつく。
「今日も姫は休みか……」
 そう言って携帯をしまい、健人は人の流れに逆らわずに地下鉄の改札口を出た。
 季節は冬になり、冷たい北風が健人の金色に近いブラウンの髪を揺らす。
 もう一度嘆息して健人は学校に向けて歩き出した。
 いつもなら健人にとって至福の登校時間であるが、ここ数日は肝心のお姫様が隣にいない。
 眞姫の体調のことも気になるし、何よりも彼女がいないことで心の火が消えたような寂しさを感じていた。
 その時。
「あっ、蒼井くん!」
 ふと名前を呼ばれ、健人は振り返った。
 背後から走って彼に追いつき、その少女・立花梨華は健康的な笑顔を向ける。
「おはよー、蒼井くん。今日も寒いねぇっ」
「立花か、おはよう。冬だからな」
 相変わらず素っ気無い健人の隣に並んだ梨華は、意味あり気に笑った。
「蒼井くんの心も寒そうねぇっ。眞姫、今日も休みなんだってね。さっきメールきてたけど、あの子大丈夫なのかな?」
「そうだな……」
 心配そうな梨華に青い瞳を向けて、健人ははあっと再び溜め息をつく。
 そんな健人の様子をちらっと見てから、梨華は少し遠慮気味に言った。
「ていうかさ、前から聞きたかったんだけど」
「何だ?」
 不思議そうに小さく首を傾げる健人に、梨華は言葉を続ける。
「何で蒼井くん、眞姫に告白しないワケ?」
「……え?」
 突然思いがけないことを言われて、健人は少し驚いた表情を浮かべた。
 梨華は前髪をかきあげてから嘆息する。
「傍から見てたら蒼井くんの態度ってモロだけど、肝心のあの子は全然気がついてないでしょ? でも眞姫って蒼井くんといると楽しそうだし、美男美女でお似合いだと思うんだけどなぁ。蒼井くんだって、眞姫と付き合いたいんでしょ?」
「そうだな、姫は誰にも渡したくないって思ってるよ」
 はっきりとそう言う健人に、梨華は分からないといった表情で首を傾げる。
「じゃあ、何で告白しないワケ?」
 健人はその言葉に、少し考える仕草をした。
 それから青い瞳を閉じ、言った。
「姫ってそんなに器用じゃないからな、あいつは今は自分のことで精一杯なんだ。だから……あいつの気持ちに余裕ができた時に、きちんと言おうと思ってるよ」
「蒼井くんって、見かけによらず健気よねぇ」
 ちょっと感心したように梨華は健人を見る。
 そんな梨華に、健人はふっと笑った。
「見かけによらずで悪かったな。俺から見れば、おまえも相当健気だけどな」
「えっ、私!?」
 健人の言葉に、梨華はびっくりしたような表情をする。
 健人は対称的に表情を変えず、言葉を続けた。
「おまえの態度もモロだぞ? 健気だよな、あいつに対して」
「うそ、そんなに私ってモロ!? って、私が何で祥太郎に健気にしなきゃいけないのよっ」
 照れたように顔を赤くして、梨華はムキになる。
 健人はその様子に、ちらりと目を向けた。
「ていうか、誰も祥太郎のことなんて一言も言ってないぞ、立花」
「……芝草くんもそうだけど、蒼井くんも結構意地悪よね」
 じろっと睨むように健人を見て、梨華は肩を落とす。
「俺と准とじゃ比べものにならないよ。あいつは普段がああだし頭がいいから、余計タチが悪いんだ」
「本当よねぇっ。すっかり最初の彼の優等生っぷりには騙されたわよ、私」
 健人の言葉に同意して、梨華はうんうんと頷く。
 その時だった。
「……おはよう、立花さんに健人。何だかすごーく楽しそうだね。僕も混ぜてくれない?」
 にっこりと作った笑顔をふたりに向けて現れたのは、噂の少年・芝草准だった。
「! げっ、芝草くんっ。お、おはようっ」
「准……そうやって気配絶って近付くところが、タチが悪いんだよ」
 慌てる梨華と表情を変えずに嘆息する健人に、准は並んだ。
「それで立花さん、僕がどうしたって?」
「あはは、今日は寒いわねぇっ。あ、芝草くんのそのマフラー、カワイイねっ」
 梨華は、准の言葉を誤魔化すように笑う。
 准はそんな梨華の様子を見て楽しそうに微笑んでから、言った。
「そういえば、今日も姫は欠席なんだろう? 大丈夫なのかな」
「さっき蒼井くんとも話してたんだけど、心配だよね」
 うーんと腕組みをし、梨華はふと背後に目を移す。
 そして立ち止まり、手を振った。
「おはよう、小椋くん。あ、祥太郎もいたの?」
「おう、立花じゃねーかよ。おはよう」
「おはようさんっ。ていうか、このハンサムガイに対してなんちゅー扱いや、姐さんっ」
「誰がハンサムガイって? 毎日よくそんな軽口ばっかり飽きずに叩けるわねぇっ。ていうか誰が姐さんよっ、まったくっ」
 じろっと祥太郎を見てからそう言った後、梨華はぷいっと照れたように視線を逸らす。
 拓巳は鬱陶しそうに漆黒の前髪をかきあげ、大きく溜め息をついた。
「あーあ、今日も休みなんだろう? 姫」
「お姫様おらんかったら、気の小さい祥太郎くんってば姐さんの尻にしかれっぱなしやわぁ」
「ねぇ……裏拳で思いっきりツッコミ入れられたい? 祥太郎」
 ぐっと拳を握る梨華に、祥太郎は楽しそうに笑って手を横に振る。
「わーわー、女王様っ。乙女がグーで男殴ったらいかんってっ」
「ていうか、誰が女王様よっ!?」
「って、痛っ! けほっ、本当に姐さんってば容赦ないんやから……」
 梨華に裏拳で胸板に思いっきりツッコミを入れられ、祥太郎は小さくむせた。
 健人はそんなふたりを青い瞳でちらりと見て呟く。
「朝から漫才なんて元気だよな、おまえたち」
「誰が漫才しとるっちゅーねーんっ! なーんてなっ」
 バシッと健人の背中に思いっきり平手でツッコミを入れ、祥太郎はわははっと笑った。
 突然の衝撃に前のめりになった健人は、じろっと祥太郎を睨む。
「つっ……祥太郎っ、おまえな」
「バカやってる間に置いていくよ、まったく」
 一連のやり取りを見ていた准は、そう言ってスタスタと歩きだした。
「そうだ、バカやってると遅刻するぜ? おまえら」
 ふっと笑ってそう言う拓巳に、残りの3人はそれぞれ呟く。
「ていうか、拓巳にだけはバカって言われたくないな」
「そうよねぇっ、小椋くんに言われたら何か余計ムカつくんだけど」
「たっくんにバカって言われたら、それこそお終いやなぁっ」
「って、どーいう意味だよ、おまえらっ!?」
 ムッとする拓巳に、3人は同時にわざとらしく溜め息をついてから歩き出した。
 ふと、その時。
「やあ、みんなお揃いで。おはようレディー、そして騎士たち」
「おう、詩音じゃねーかよ」
 振り返った拓巳は、いつの間にかそこにいた詩音に軽く手を上げる。
 先を歩いていた梨華と少年たちも足を止め、詩音に振り返った。
 詩音は上品な顔に微笑みを浮かべ、そして全員を見回す。
「今日も僕のお姫様はいないようだね。お姫様の姿を見れないのは寂しいけど、これも王子への試練かな」
「あんたたちって、本当に揃って第一声に言うこと同じなんだから。ま、お姫様の親衛隊だから仕方ないけどね」
「レディー、僕はお姫様の親衛隊じゃなくて王子様だよ?」
 にっこりと梨華に笑顔を向け、詩音は言った。
 梨華は、はあっと嘆息して頷く。
「そうだったわねぇ……御免あそばせ、王子様」
「いいえ、どう致しまして。気にしなくていいよ、レディー」
 優しく梨華の頭に手をぽんっと置いて、詩音は満足そうにそう言った。
「……本当に梓くんには勝てないわ、私」
 梨華は自分のペースを一切崩さない詩音にある意味感心しながら、大きく溜め息をついた。
 それから少年たちと梨華は、学校に向けて歩き出す。
 梨華は隣を歩いている健人をちらりと見て、そして言った。
「ライバルは多いけど頑張ってね、蒼井くん。うかうかしてられないよ?」
「ああ、そうだな」
 ふっと梨華の言葉に笑ってから、そして健人は青い瞳を細めたのだった。




 その日の夕方。
「ちいーっす、智也っ。お待たせぇっ」
「30分の遅刻……まぁ、綾乃にしてはいい方かな」
 悪びれもなく駆け寄って来たその少女・藤咲綾乃に、彼女を待っていた少年・高山智也は溜め息をつく。
 それからちらりと時計を見て、言った。
「早めに時間言っといてよかったよ、杜木様をお待たせするわけにはいかないからな」
「えー、時間早めに言ったの!? せっかく急いで来たのになぁ。ていうか大丈夫よぉっ。杜木様は超優しいもん」
「おまえって本当に大物だよな、いろんな意味で」
 呆れたように綾乃に漆黒の瞳を向け、智也は賑やかな街の中歩き始める。
 綾乃も漆黒の髪をふっとかきあげてからそれに続いた。
 12月に入って本格的に寒くなり、日が落ちる時間も早くなっている。
 クリスマス用の商品が飾られた派手なショーウィンドウを楽しそうに見つめて、綾乃は隣を歩いている智也と腕を組んだ。
「ねぇねぇ、こうやって歩いてると、私たちって超ラブラブな恋人同士に……」
「全然見えないし。あーあ、眞姫ちゃんと腕組んでラブラブで歩けたらなぁ」
 すかさず綾乃の言葉にツッこみを入れて、智也は肩を落とす。
 綾乃はその反応に満足気に微笑んだ。
「ツッこむの早っ。祥太郎くんといい勝負ねぇっ、ツッコミの早さ」
「ていうか綾乃、相変わらずあの能力者とデートしてるんだ」
 ふと表情を変え、智也は漆黒の瞳を綾乃に向ける。
 そんな智也に、綾乃はくすっと笑った。
「祥太郎くんとは、普通にいいお友達よぉ。そういう智也だって眞姫ちゃんのこと好きなんでしょ、お互い様じゃない?」
「“浄化の巫女姫”と“能力者”じゃ、全然違うだろう? 能力者は敵だけど、巫女姫は僕たち“邪者”にとってのお姫様でもあるんだから」
「まぁ、それはそうなんだけど。それよりさ、智也……」
 綾乃は智也と腕を組んだまま、瞼を静かに閉じる。
 そしてその漆黒の瞳をゆっくりと開いてから、言った。
「今日の杜木様からの呼び出しに、涼介も来るんでしょう? どうせ分かるんだから、隠さないで」
「…………」
 自分を見つめる瞳の印象が先程とまるで別人のように変わっている綾乃を見て、智也は一瞬言葉を失う。
 そして大きく嘆息して言った。
「ああ。でもどうして分かったんだ?」
「だってこうやって、わざわざ智也が綾乃ちゃんのこと迎えに来てるでしょ。私と涼介のふたりだけで顔合わせたら大変だもんね。きっと私が、あいつのこと殺そうとするでしょうからね」
「おまえなぁ、そんなに殺気立ってコワいこと言うなよな……」
 綾乃は複雑な表情をしながらも、首を横に振る。
「あいつのこと見たら、あのヘラヘラした顔を殴りたくなるけど……でも、今日は杜木様もいらっしゃるから。いくら私でも、杜木様の前で手を出したりしないわ」
「そうだといいんだけどな」
 心配そうな表情を浮かべ、智也は杜木が待ち合わせに指定した喫茶店へと入った。
 それに続いた綾乃は店内に入るやいなや怪訝な顔をする。
 そんな綾乃の様子を見て嘆息して、智也は彼女の肩をぽんっと軽く叩いた。
 待ち合わせ場所に、杜木の姿はまだなかった。
 だが。
「こんにちは、綾乃。会いたかったよ」
「私は全っ然、会いたくなかったわ」
 甘いマスクに微笑みを浮かべる男・鮫島涼介は、綾乃の反応を楽しそうに見た。
 逆に綾乃は鋭い視線を彼に向けている。
 智也はふたりの間に割って入るように位置を取り、漆黒の前髪をかきあげた。
「おまえらなぁ、頼むから大人しくしててくれよ」
「いつも大変だね、智也も」
 そう言ってにっこり笑う涼介に、智也は席に座って頬杖をつく。
「ていうか、誰のせいだよ、誰の」
 綾乃もガタッと音を立てて椅子をひいて座り、あからさまに面白くない顔をした。
 この何ともいえない雰囲気に、智也はもう一度嘆息する。
 その時だった。
 ふと3人は同時に顔を上げる。
 店内の空気が、その印象を変えたからだ。
 喫茶店に入って来たのは、黒のロングコートに身を包んだひとりの男。
 その男・杜木慎一郎は、3人の姿を確認し端整な顔に微笑みを浮かべる。
「待たせて悪かったね」
「杜木様ぁっ、お久しぶりですっ」
 綾乃は嬉しそうに立ち上がって杜木に駆け寄り、彼の腕に自分の腕を絡める。
 杜木はそんな綾乃の頭を優しく撫で、言った。
「いい子にしていたかな、綾乃?」
 コートを備え付けのハンガーにかけて椅子に座り、そして杜木は改めて集まった3人を見る。
 涼介はふっと不敵に笑って、そんな彼に言った。
「我々四天王の3人集めて、どうされたんですか? 杜木様」
「今後の方針を、おまえたちには話しておこうと思ってな」
「4人目のあいつはいいんですか?」
 智也の問いに、杜木は漆黒の瞳を細める。
「彼は今、忙しい時期だからね。もう少ししたら彼にも仕事してもらうから」
「それで杜木様、今後の方針って……」
 そう言う綾乃に優しく微笑んでから、杜木はウェイトレスにコーヒーを注文する。
 そして全員を見回し、言った。
「今後の方針だが、まだ本格的に“能力者”に仕掛ける気はない」
「え?」
 杜木の言葉に、智也は意外な表情を浮かべる。
 それはあとのふたりも同じだった。
 自分たち四天王が3人同時に集められたのだから、近々大きく動きをみせるのだろうと思っていたからである。
 杜木は、念を押すように口を開く。
「四天王も全員揃ってはいないし、まずは“浄化の巫女姫”の能力覚醒が先決だ。まだ本格的に仕掛けるには早いだろう」
「じゃあこれからも今まで通り、眞姫ちゃんの能力開花のために動くってことなんですよね?」
 綾乃の言葉に頷いてから、杜木は運ばれてきたコーヒーをひとくち飲んだ。
「彼女の能力も、覚醒の第一段階である“憑邪浄化”と“邪気抑制”の力が確認された。これから覚醒の第二段階に入るだろう。それに“能力者”に対しても、本格的に仕掛ける前に揺さぶりを少しずつかけようと考えている」
 そこまで言って、杜木は一旦言葉を区切る。
 そしてふっと端整な顔に微笑みを浮かべ、続けた。
「そこで今回は、麻美(あさみ)に動いてもらうようにした」
「えっ、麻美ちゃんに!?」
 綾乃は杜木の言葉に、驚いた声を上げる。
「麻美? どんな子でしたっけ?」
 うーんと考える涼介に、智也はちらりと視線を向けた。
「麻美って、あの“邪消費型”の能力の……」
「ああ、あの“邪消費型”タイプ研究番号112の彼女ね」
 ぽんっと手を打つ涼介に、綾乃は怪訝な表情を浮かべる。
「どうしてそう、いちいちムカツク覚え方するわけ? あんたは」
「どうしてって、名前よりもその方が分かりやすいからね。そんなに興味ある研究対象ではないし」
「ったくっ、ムカツク……今すぐ殺したいわ、本当にっ」
 そんな気に喰わない顔をする綾乃の頭を優しく撫で、杜木は静かに言った。
「綾乃、いい子にしてなさいと私は言っただろう?」
「……杜木様」
 杜木に窘められ、綾乃は涼介から視線を外す。
 涼介は綾乃の様子を楽しそうに見て、そして言った。
「それでは杜木様、僕はこれで失礼します」
「えっ、涼介!?」
 立ち上がって上着を羽織る涼介に、智也は瞳を見開く。
 涼介はにっこりと甘いマスクに微笑みを浮かべて言った。
「本格的に仕掛けないのならば、四天王が3人も動くことはないでしょう? それに、僕はその麻美という彼女の能力に特別研究的魅力を感じませんし」
「ちょっと、何勝手なことばっかり言ってるワケ!? まだ杜木様のお話は終わっていないのよ!?」
 ガタッと立ち上がった綾乃を、杜木は慌てることなく制する。
「いいんだよ、綾乃。涼介の言う通り、君たち3人全員に動いてもらうつもりはない。3人のうちの誰かに動いてもらえばいいと思っているから」
「でも、どうして麻美なんですか?」
 智也の問いに、杜木は漆黒の瞳を細めた。
「彼女の能力は、能力者を揺さぶるには都合のいいものだろう? それに……次に“浄化の巫女姫”に蘇る能力を考えたら、麻美に行かせることが彼女のためにもなるんじゃないかと思ってね」
「杜木様……」
 綾乃は複雑な表情で彼の言葉を聞いている。
 テーブルに自分の飲んだコーヒー代の千円札を置いてから、涼介はふっと笑った。
「なるほど、本当に杜木様は女性にお優しい方だ。それでは、また」
 そう言って、涼介は店の出口へと歩き出す。
 杜木はそんな涼介を止めることもなく、彼の背中を無言で見送った。
「本当に研究のことしか頭にないし、アイツ」
 面白くなさそうな表情の綾乃をちらりと見て、そして智也は杜木に視線を移す。
「杜木様、麻美に行かせて具体的に何をさせるのですか?」
「特に彼女には細かい指示は与えていないよ。ただ、能力者をひとりでも多く始末しろとだけ言っておいた」
「どういうことですか? 第一麻美の能力で能力者たちを始末するのは無理かと」
 杜木の考えが見えてこない智也は小さく首を傾げた。
 杜木はふっと微笑み、言葉を続ける。
「“邪者”内では、おまえたち“邪者四天王”の正体は秘密にしてあるだろう? 何故だか分かるかい? 幹部をベールに包むことにより、そこに自分も這い上がろうとひとりひとりが切磋琢磨し合う。だから“邪者”は個人の力が重視され、そして上への貪欲さがはっきりと表れる。だが“能力者”は、昔から横の繋がりを重視してきた。今回、そんな能力者の中を揺さぶろうと思っている。横の繋がりを重視する性質の“能力者”の中を揺さぶるには、麻美の能力はおあつらえ向きだろう?」
「確かに麻美ちゃんの能力だったら、うまくかき回せるかも」
 感心したように綾乃は彼の言葉に頷く。
 智也は杜木の話に納得しながらも、再び聞いた。
「それで、俺たちは何をすればいいんですか?」
「麻美のサポートをして欲しい。先程おまえも言っていたように、麻美の能力では“能力者”を始末することは無理だろうからな。彼女が苦戦しているようであったら、手を貸してやれ。そして様子を私に報告してくれ」
 綾乃はふっと印象の変わった漆黒の瞳を細め、杜木を見つめる。
「手助けに入った場合……その時対峙している“能力者”は、どうすればいいですか?」
「本格的に仕掛けるにはまだ早い。始末できるならばいいが、無理は禁物だ」
 そこまで言って、杜木はコーヒーを再び飲んだ。
 綾乃は視線を杜木から智也へと移し、そっと黒髪をかきあげる。
「んー、じゃあそういうことで、どっちがどうする? 智也」
「そうだな、交代制にでもするか?」
「そうねぇ。じゃ、後でシフト考えましょ」
「シフトっていうか、どうせおまえの都合が悪い日が俺の担当になるんだろう?」
 はあっと嘆息する智也を後目に、綾乃はにっこりと杜木に微笑んだ。
「そういうことで、綾乃ちゃんたちに任せてください、杜木様っ」
「頼りにしているよ、新しい指示がある際はおって連絡しよう」
 端整な顔に柔らかな笑顔を浮かべてから、そして杜木は闇のように深い黒の瞳を細めたのだった。