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 10月15日・金曜日。
 秋の涼しい風が、赤く色づき始めた街路樹の葉を揺らしている。
 日が落ちる時間も次第に早くなり、目の前の空も赤い夕日に染まりかけていた。
 学校の校門を出て、その少女・清家眞姫は栗色の髪をそっとかきあげる。
「ねぇ、眞姫。今度の日曜日、空いてる?」
「今度の日曜日? うん、空いてるよ」
 コクンと頷き、眞姫は隣を歩いている友人・立花梨華に目を向けた。
 梨華は少し頬を赤らめながら、ちらりと眞姫を見て続ける。
「もうすぐさ……祥太郎の誕生日でしょ、プレゼントを買いに行こうかなって」
「25日だったよね、祥ちゃんの誕生日。23日は健人の誕生日だし、プレゼント買わなきゃだね」
「蒼井くんも誕生日なんだ。この間は小椋くんの誕生日だったし、眞姫も大変ねぇ」
 感心したようにそう言う梨華に、眞姫はにっこり微笑んだ。
「あ、そうそう。夏休みに一緒に選んでくれた拓巳のプレゼント、気に入ってもらえたよ。オマケのキティーちゃんのストラップも、すごく喜んでくれたし。結構拓巳って、可愛いもの好きみたい」
「そういえば小椋くん、大事そうにキティーちゃん携帯につけてるもんね。まぁ……キティーちゃんが好きというよりも、彼の場合は眞姫が好きなんだけどねぇ」
 最後の方は小声になりながらも、梨華は笑う。
 その言葉が聞き取れず、眞姫は首を傾げた。
「え? なに、梨華?」
 梨華は眞姫の肩をポンッと軽く叩いて、まだきょとんとしている彼女に言った。
「まぁまぁ、それはともかく。じゃあ日曜日は、11時にいつもの場所で待ち合わせでいいよね?」
「うん、いつもの場所に11時ね」
「あ、この間ね、綾乃と美味しい甘味処見つけたんだ。そのお店にも行かない?」
「美味しい甘味処かぁっ。行く行く、楽しみにしてるねっ」
 嬉しそうに微笑んで、眞姫はその大きな瞳を細める。
 それからふたりは、今流行りのお店のことやTVドラマの話をしながら、賑やかな街を歩く。
 10分ほど歩きながら楽しく会話していた眞姫だったが、地下鉄の入り口が見えてきて、バス通学である梨華とそこで分かれた。
 そして梨華の背中を見送り制服の胸のリボンの形を整えてから、眞姫は再び歩き出そうとした。
 ……その時。
 眞姫はふと、おもむろに振り返る。
 彼女の肩まである栗色の髪が、ふわりと揺れた。
 そして後ろを振り返ったまま、眞姫はその大きな瞳を見開いた。
「あ……」
 地下鉄の階段を降りようとしていたその足は、ぴたりと止まっている。
 そんな彼女の目の前に、スッと一台の立派な車が現れた。
 そして、その立派なベンツから降りてきたのは……。
「こんにちは、お姫様。ご機嫌いかがかな?」
 スマートな身のこなしで車を降りてきたその人物は、紳士的な顔に微笑みを浮かべる。
 眞姫は相手の顔を確認して、驚いたように言った。
「あっ、傘のおじさま!」
「もしお姫様さえよろしければ、私とドライブでもしませんか?」
 上品な笑顔を眞姫に向け、その人物・傘の紳士はにっこりと笑いかける。
 眞姫は瞳をぱちくりさせた後、こくんと頷いた。
「え? あ、私なんかでよければ、是非」
 その言葉を聞いて嬉しそうに瞳を細めた後、紳士はスッと助手席のドアを開ける。
 そして眞姫が乗り込んだことを確認し、優しくそのドアを閉めた。
 車の中は、いつものように優雅なクラシック音楽がゆったりと流れている。
 紳士の好みであろうか、とてもセンスの良い選曲で、その旋律は眞姫の心をより穏やかなものにしてくれる。
 眞姫の横顔を満足そうに見て、紳士は車をゆっくりと発進させた。
 目の前の景色が流れはじめ、先ほどまで空を染めていた夕日も沈みかけている。
 美しい旋律に耳を傾けながらも、眞姫はふと隣の紳士を見た。
 そして、おそるおそる言った。
「あの、前からおじさまにお聞きしたいなぁって思っていたことがあるんですけど……」
「何かな、お姫様?」
 柔らかな笑顔を眞姫に向け、紳士は小さく首を傾げる。
 一息つき、眞姫は続けた。
「おじさまって、おいくつなんですか?」
「年齢かい? いくつに見えるかな、お姫様」
 逆に聞かれて、うーんと眞姫は考える仕草をする。
 傘の紳士は、上品で優雅な微笑みをいつも絶やさない。
 着ているスーツはさりげなくお洒落で、それでいて高そうなものである。
 髪は濃いブラウンで、その優しげな瞳も同じ色を湛えている。
 そして眞姫は、不思議と彼の瞳の色が、知っている誰かのものと似ている気がしてならなかった。
 それが誰だかは、まだ分からなかったが……。
 しばらく考えて、眞姫はおそるおそる言った。
「えっと、失礼だったらごめんなさい……三十代後半くらい、ですか?」
 眞姫の言葉を聞いて、紳士はふっと笑う。
「嬉しいな、お姫様。実年齢よりも10歳も若く見てくれるなんて」
「え?」
 きょとんとする眞姫に、紳士は続けた。
「私は今、46歳だよ。見えないかな?」
「えっ!? 全然見えないですっ。おじさまって、すごくお若いから……」
 驚いたように、眞姫は瞳を見開く。
 それからふと表情を変え、瞳を伏せた。
「今年46歳だったら……私の死んだお父さんが生きていたら、同じ年です」
 信号が赤になり、紳士は車を止める。
 そして眞姫にその瞳を向け、無言でそっと彼女の栗色の髪を撫でた。
 大きくてしなやかな紳士の手の温もりに、眞姫は父親のようなあたたかさを感じたのだった。
 紳士は、にっこりと笑って言った。
「私はお姫様が望むのならば、父親役にも、何なら恋人にもなってあげるよ?」
「おじさま……ありがとうございます、嬉しいです」
 ふっとその顔に笑顔を取り戻し、眞姫は顔をあげる。
 そんな眞姫を見守るように見つめていた紳士は、おもむろにスーツのポケットからあるものを取り出した。
 それは……うすいスミレ色をした、一枚の封筒。
 紳士はそれを、スッと眞姫に差し出す。
 眞姫は不思議そうな顔をしつつも、その封筒を受け取った。
「おじさま、これは?」
「今日は、これをお姫様に届けにきたんだ。さぁ、開けてごらん」
 言われるままに封筒を開けた眞姫は、その瞳をぱちくりとさせる。
 中に入っていたのは、綺麗に飾られた一通の招待状であった。
「10月31日の日曜日に、ちょっとしたホームパーティーを催すのだが、もしよければお姫様も是非招待したいと思ってね」
「ホームパーティー、ですか?」
「由梨奈くんや詩音くんも来る予定だから、彼女たちと一緒に来るといいよ。どうかな?」
 眞姫はまだ驚いた表情を浮かべたまま、もう一度招待状を見つめる。
 そして瞳を紳士に向け、言った。
「私なんかが参加して、いいんですか?」
「もちろんだとも。むしろお姫様には、是非来てもらいたいな」
 紳士の言葉に少し考える仕草をした眞姫だったが、詩音や由梨奈もくるのならと思い、首を縦に振る。
「分かりました、私でよければ参加させてください。楽しみにしています」
「ありがとう、こちらこそ楽しみにしているよ」
 満足そうににっこりと微笑んでから、紳士はおもむろに車を止めた。
 そして優雅な身のこなしで車から降り、助手席のドアを開ける。
「さあ、お姫様。名残惜しいけれども、お城に到着だよ?」
 気がつくと、車は眞姫の家のすぐ近くにまで来ていた。
 慌てて車を降り、眞姫はぺこりと頭を下げる。
「いつもありがとうございます、おじさま」
「どう致しまして。私の方こそ嬉しいよ。お姫様とのドライブは楽しいからね」
「私もおじさまとお話するの、とても楽しいです。それじゃあ、失礼します」
 もう一度お辞儀をして、眞姫は家に向かって歩き出す。
 紳士は軽く手を振り、眞姫の姿が見えなくなるまで見守っていた。
 それから愛車に戻った紳士は、再びゆっくりと車を発進させる。
 すっかり日の落ちた空はいつの間にか暗く、街のネオンがあたりを照らしている。
「10月31日……お姫様は一体、どんな可愛い顔をして驚くのかな。楽しみだ」
 そう呟いてふっと悪戯っぽく笑い、紳士はその整った顔に笑顔を浮かべたのだった。




「ていうか。どうして四天王って、みんな時間にルーズすぎなんだよ……」
 はあっと溜め息をついて、その少年・高山智也はテーブルに頬杖をついた。
 場所は、繁華街の喫茶店。
 智也の正面に座っている男は、その言葉に悪びれもなく笑う。
「相変わらずせっかちだなぁ、智也」
「あのな、せっかちって……1時間も待たされる身にもなってみろよ」
 まだぶつぶつ言っている智也にその闇のような漆黒の瞳を向け、男は長い前髪をかきあげた。
 男は、智也よりも年上のように見える。
 やや垂れ気味で綺麗な二重の瞳に、肩までかかる少し長めの黒髪。
 杜木のような上品な雰囲気はないが、ホストのような甘いマスクを持つ男である。
 男はおもむろにたばこをくわえ、火をつける。
 ふうっと煙を吐き出し、そして改めて智也に目を向けた。
「それでだけどさ。例のもの、持ってきてくれた?」
「ああ。まだ未完成だけどな、涼介(りょうすけ)」
 そう言って智也は、涼介と呼んだ男に数枚の資料を渡す。
 パラパラとそれを手に取り、涼介は目を通し始めた。
 智也は注文したコーヒーをひとくち飲んで、瞳を細める。
「まだ俺も、お姫様の近くにいる“能力者”全員とは戦ってないからな。そこにも書いてるけど、実際に手合わせした“能力者”は3人だ。あと2人は実際に戦ってはいないが、その能力は一応この目で見たことはあるよ」
「ふーん、ちゃんと仕事をしているんだな、智也。お姫様の能力の成長と、その周囲の“能力者”の力の性質を探る任務、ね」
「まぁな」
 それだけ言って、智也は再び大きく溜め息をついた。
 そしてその表情を変えて、まっすぐに涼介を見る。
 スッと瞳を細め、智也は言った。
「おまえの仕事といえばさ、猛のことだけど」
「猛? ということは、この間の僕の作品のことかい?」
 その言葉に、智也は訝しげな表情を浮かべる。
 猛は、以前“能力者”との戦いに敗れた“邪者”である。
 その時、猛は“邪者”を統括する男・杜木慎一郎に“邪気”を倍増させる能力を引き出すという薬を渡され、“能力者”である拓巳と祥太郎との戦いで、その薬を飲んだのだった。
 そして薬で猛の“邪気”の大きさは増したが、結局はその薬の副作用で身体の自由がきかなくなり、“能力者”に消滅させられたのだ。
 智也は険しい表情を浮かべて、言葉を続ける。
「あの薬なんだけど、もちろんおまえが作ったんだろう?」
「うん。でも智也も見た通り、あれは失敗作だったんだよ。いや……厳密に言うと失敗じゃなかったんだけど、あれは僕たち“邪者四天王”クラスの力がないと副作用に負けちゃうんだよね。四天王ほどの力はないけど“邪者”の中でも大きな力を持っていた猛でも、副作用であの様さ。ま、ある程度予測はついてたとはいえ、結果が出なかったのは残念だったよ」
 涼しい顔でそう言う涼介に、智也は呆れたように首を小さく振る。
「おまえ、本当に相変わらずだな……だから綾乃にも恨まれるんだぞ?」
 智也の言葉に、涼介はふっと笑った。
「綾乃、か。彼女は元気? あの子は本当に面白いからね」
 楽しそうな涼介の顔を見た智也は、再び深々と嘆息する。
「あのなぁ、綾乃にちょっかいかけるのやめろよな。四天王のもうひとりのあいつは我関せずだし、おまえたちの間に挟まれる俺の身にもなれよ。ていうか、おまえ絶対に綾乃に殺されるぞ、そのうち」
「確かに、あの子は強いからねぇ。いくら僕が“邪者四天王”とはいえ、勝てる自信はないもんな」
 そこまで言って、涼介はその漆黒の瞳を細める。
 それから不敵に笑い、続けた。
「まぁ……負けないって自信もあるけどね」
「だーからなぁ、間に挟まれる俺の身にもなれって言ってるだろ? おまえって本当に、人の嫌がることや卑怯なことが大好きで大得意だからな」
「ありがとう、智也。そう褒めてもらえて嬉しいよ」
「……いや、全然褒めてないし」
 にっこりと笑う涼介を見て、智也はがくりと肩を落とす。
 そんな智也に、涼介は楽しそうに言った。
「大丈夫だよ、智也。さすがの僕も、君の愛しいお姫様には手を出さないから」
 その言葉に、智也は訝しげな表情を浮かべて顔をあげる。
 そして漆黒の瞳で涼介を睨み、静かに言った。
「おまえ、まさか眞姫ちゃんに何かする気じゃないだろうな?」
「そんな怖い顔しないでよ、智也。君にまで恨まれるほど、僕は自分の力を過信してはいないからさ」
「…………」
 まだ険しい表情のままの智也に微笑み、涼介はたばこの火を消してコーヒーをひとくち飲む。
 そして口元に笑みを浮かべ、言った。
「お姫様には直接は手を出さないよ……直接的には、ね」