人で犇めき合う朝の電車内。
 それは大抵の人にとっては憂鬱以外の何物でもないものだろう。
 でも、彼にとっては。
 電車で登校するこのひとときが、一日で一番好きな時間なのである。
「昨日ね、梨華と映画観に行ったんだ。ほら、今話題になってる恋愛映画。原作も読んだんだけど、映画でも素敵だったよ」
 ほのかに良い香りのする栗色の髪を揺らし、笑顔を宿している彼女。
 そんな眞姫と……一緒に、過ごせる時間であるから。
 混雑する車内にも慣れたように立つ眞姫を見つめ、健人は優しくブルーアイを細める。
 毎日登校時に彼女と交わす会話は何の変哲もない雑談。でも、不思議と話が途切れることはなくて。
 何よりもすぐ傍で彼女の存在を感じられる現在(いま)が……とても、大切。
「恋愛映画か。姫も立花も好きそうだよな」
「うん。梨華と観た後も、ずっとこの映画の話で盛り上がっちゃったよ」
 眞姫はキャッキャとはしゃぐように笑むも。
 ふと首を小さく傾けた後、上目で健人を見つめた。
「あ、でも健人は恋愛映画よりも、アクションとかファンタジーとか動きがある映画の方が好き?」
 健人はそんな彼女の言葉にくすりと笑って。
「そんなに俺、ロマンチストに見えないか?」
 くしゃりと、わざとほんの少しだけ手荒に、眞姫の頭を撫でた。
「あっ、もう健人ってば……っ」
 突然感じた彼の大きな手の感触に眞姫はちょっぴり顔を赤らめるも。
 優しく掻き回された髪を手櫛で整えつつ、ぷくりと頬を膨らませる。
 そんな眞姫に健人はもう一度笑んで。
「こう見えても、恋愛映画も嫌いじゃないぞ、姫」
 今度はそっと、彼女の髪を整えるように撫でたのだった。
 そして再び綺麗に整った栗色の髪から指を引いた後、健人は苦笑しつつもこう口を開く。
「まぁ俺達の場合、リアルの方が映画よりもよっぽど激しいアクションものなんだけどな」
「あ、そうだね」
 よく考えれば健人の言う通り、映画なんかよりもずっと派手なアクションを眞姫はその瞳で見ている。
 自分の盾となり、能力者として戦いに身を投じる……彼らの大きな背中を。
 その姿は眩くて力強くて、とても頼もしいものだけれど。
「でもね……アクション映画は、映画だから。楽しく安心して観ていられる……かな」
「姫……」
 眞姫の表情に宿ったのは――複雑な色。
 とはいえ、能力者の使命を受け入れ戦う少年達の覚悟を否定する気持ちなどは毛頭なくて。
 むしろ自分も浄化の巫女姫としての運命と向き合っていきたいと、そう思う反面。
 ただ単純に眞姫は、能力者の皆に……いや、全ての人に、傷つき倒れて欲しくないのだった。
 ガタゴトと小刻みに揺れる車内で、無意識的にふと俯いてしまった眞姫。
 だが……そんな彼女の顔を再び上げさせたのは。
 ふわり撫でるように頭に添えられた、健人の掌。
「姫、今度一緒にふたりで映画観に行こう。恋愛ものでもアクションものでも、どっちでもいいから」
「健人……」
 自分だけを映すその綺麗な蒼の瞳にドキッとしながらも。
「うん、行こうね」
 笑顔を取り戻し、眞姫は大きく頷いて。
 駅に到着した瞬間流れ出した人の波に逆らわず、健人とふたり並んで電車を降りる。
 それから地下鉄の改札を抜け、上りきった階段の先で、にわかに照る太陽の光に思わず目を細めた後。
「そういえば私達って、映画研究部員なんだよね」
 くすりと、そう笑んだのだった。
「そういえばそうだったな」
「ふふ、そういえばとか言ったら、鳴海先生に怒られちゃうね」
「映画鑑賞はまだしも、鑑賞後のレポート提出は勘弁して欲しいけどな」
 眞姫の笑顔につられ、健人も表情を和らげて。
 聖煌学園までの道のりを彼女の歩調に合わせゆっくりと歩いていきながら、改めて思う。
 何ということもない日常がずっとこのまま続いて。
 眞姫がすぐ隣でこんな風にずっとずっと笑っていられるのならば。
 そのためだったら、喜んで自分は戦いに身を投じよう――と。
 彼女の日常を脅かすものは、それが何であっても、どんな理由があっても……許せないから。
 ――その時だった。
「おっ、そこの可愛いお姫様っ。ハンサム王子と一緒に、ラブラブ登校せぇへん?」
「……ラブラブ登校って」
 突然背後から降ってきた声に、健人は振り返りつつも大きく溜め息をついて。
 くすくすと笑う眞姫は、逆に駆け寄る彼へと、にこり笑顔を向ける。
「おはよう、祥ちゃん」
「いやー朝からお姫様の可愛い顔見れるなんて、俺は幸せもんやなぁっ。あ、お一人なら一緒に行きましょー、お姫様♪」
「おい、誰がお一人だ」
 そう軽口を叩きつつ自分と眞姫の間に割り込もうとする祥太郎を、じろりと蒼い目で睨む健人。
 祥太郎はそんな彼の反応を楽しむかの様に、わざとらしく大袈裟に声を上げる。
「おわ! なんや健人もおったんかー。お姫様しか眼中になかったから気づかんやったわー」
 そしてわははっと笑いつつ、眞姫と健人の間に割り込むように身体を入れ、ちゃっかり彼女の華奢な肩を抱こうと手を伸ばすも。
「……何入ってきてるんだ、おまえ」
 そうはさせまいと、すかさず身体をずらす健人。
 だが――次の瞬間。
「……! つっ」
 健人の肘が身体に触れ、祥太郎は一瞬、その顔を歪める。
「祥ちゃん?」
 そんな表情の変化に気付いた眞姫はふと不思議そうに首を傾けるが。
 祥太郎は間を置かず、今朝豪快にベッドから落ちてしもうたんや、まいったわーと。
 そうさり気なく誤魔化すと、すぐさま話を変えたのだった。
 そして、もう一見普段通りに見える友に、不意に視線を向けて。
「…………」
 健人は、何かを考えるような複雑な表情を浮かべたのだった。