――ギラギラと太陽が容赦なく照りつける、蒸し暑い夏の日。
 進学校である聖煌学園高校の夏季補習もこの日で終わりを告げ、明日から待ちに待った夏休みである。
 そんな開放感に浸りながら、聖煌学園の深緑のブレザーを着たその少年少女たちは繁華街の喫茶店にいた。
 外はうだるような真夏の猛暑だが、彼女たちがいる喫茶店内は冷房が効いていて少し肌寒いくらいである。
 そんな店内で練乳のかかったイチゴ味のカキ氷を美味しそうに食べている少女・今宮那奈に、彼女の幼馴染みである彼はこう言ったのだった。
「夏休みなんだけど、僕んちの別荘に遊びに来ない?」
 那奈は食べていたカキ氷から視線を上げて、幼馴染みの彼・安西悠の突然のその提案に、少しつり気味の漆黒の瞳を数度瞬きさせる。
 それから、悠の育ちの良さそうな聡明な顔を見た。
「悠くんちの別荘に? お邪魔しちゃっていいの?」
「別荘かぁ、お金持ちーってカンジで憧れちゃうなぁっ」
 うっとりとそう言って、那奈の親友である竹内知美はパクッとカキ氷をひとくち口に運ぶ。
 悠はそんな知美に目を移し、にっこりと笑って言った。
「知美ちゃんもおいでよ。そんなに憧れるほど、うちのは大した別荘じゃないんだけどね」
「えっ、私もいいの? でも、お邪魔なんじゃない?」
 那奈に想いを寄せる悠の気持ちを知っている知美は、ちらりと遠慮気味に彼を見る。
 悠は首を大きく横に振り、色素の薄いサラサラの前髪をかき上げた。
「お邪魔なんてとんでもないよ、むしろ大歓迎だよ」
「本当に? わあっ、嬉しいなぁっ、あー何着て行こうかなーっ」
「みんなで別荘か、すごく楽しくなりそうね」
 パッと表情を変えてはしゃぐ知美を見て漆黒の瞳を細め、那奈も楽しそうに小首を傾げて笑った。
 それと同時に、彼女の肩よりも少し長いストレートの黒髪がふわりと揺れる。
 那奈のそんな様子を満足そうに見てから、悠は笑顔を彼女に向けた。
 それから、ふっと口元に笑みを浮かべる。
 そして那奈を見つめ、ゆっくりとこう言葉を続けたのだった。
「ねぇ、那奈ちゃん。せっかくだから、大河内先生も一緒にどうかな?」


 SCENE1 エメラルドの都の宮殿


 強い太陽の日差しを遮るようにそびえる木々の間を、一台の青のフェラーリが颯爽と走っている。
 那奈は開け放った助手席の窓から吹き付ける避暑地の爽やかな風を頬で感じながら、運転席の恋人に目を向けた。
「もうすぐ着くね、先生っ。すごく楽しみだなぁっ」
 楽しそうにそう言う那奈に、彼女の教師でありそして恋人である彼・大河内藍は笑う。
「おまえな、着く前からそんなにはしゃいでると、着いてから疲れるぞ?」
 学校も夏休みに入ったためにすっかりプライベートバージョンな大河内先生は、綺麗な漆黒の瞳を細めてザッと同じ色の前髪をかき上げた。
 そんな先生に、那奈は悪戯っぽく微笑む。
「避暑地の別荘なんだから、ゆっくり時間を贅沢に過ごすのが目的でしょ? だから疲れないわよ」
 そして少し頬を赤らめながら、ちらりと彼を見てこう言葉を続けたのだった。
「それにこれから数日間、先生と一緒に過ごせるんだもん……そう思うと、すっごく嬉しくて」
 大河内先生はその言葉を聞いて瞳を細めた後、信号に引っかかったために車のブレーキを踏んだ。
 そして、ふっと視線を彼女に向ける。
「ああ。俺もおまえと一緒にいられて、嬉しいぜ」
 先生はハンドルに添えていた右手を離し、彼女の頭をぐりぐりと撫でた。
 ……そして。
 彼女の顎をスッと持ち上げると、大河内先生は那奈の唇にそっと優しくキスをする。
 那奈は漆黒の瞳を閉じてそれを受け入れると、幸せそうに微笑みを浮かべた。
 ――ふたりが付き合い始めて、もうすぐ5ヶ月。
 先生と生徒という関係でもあるふたりは、周囲に恋人同士であるということを隠しつつも順調に愛を育んでいた。
 途中喧嘩をしたりもしたが、ふたりのラブラブ度はまだまだ日に日に増しているのである。
 那奈は彼に身体を寄せながら、笑顔で言った。
「先生と一緒に数日過ごせるのも、悠くんが誘ってくれたおかげだよね」
 彼女のその言葉に、大河内先生はふと微かに表情を変える。
 そして、漆黒の前髪をかき上げて呟いたのだった。
「安西のおかげ、なぁ……」
 いくら恋人同士であるとはいえ今はまだ教師と生徒という関係である以上、彼女とふたりきりで泊りがけでどこかに行くということはさすがにできない。
 そんな時、那奈から今回の別荘の話を聞いたのだが。
 その内容は、少し先生にとって引っかかるものであった。
 彼女と数日一緒にいられることは嬉しい先生だったが、ただそれがよりによって、あの悠の別荘なのである。
 しかも恋のライバルであるはずの自分を、わざわざ悠自身が誘ってきたということがかなり気になっていた。
 だが悠の想いに気がついていない那奈に、そんなことは言えない。
 しかも別荘の計画を話す彼女の楽しそうな顔を見ると、断ることもできなかったのである。
 なかなかの策士である悠の性格を知っている先生は複雑な表情を浮かべながらも、隣で心躍らせている恋人の様子にふっと微笑む。
 それから前を見据え、ぽつりと呟いたのだった。
「あいつが何考えてるか知らねーけどよ……正面から、受けてたってやるっ」
「え? なぁに、先生?」
 彼の言葉がよく聞こえなかった那奈は、不思議そうに先生に目を向ける。
 そんな恋人の頭をもう一度優しく撫で、それから大河内先生は綺麗な漆黒の瞳を愛しそうに細めたのだった。


 ――同じ頃。
「ごめんね、悠くん。悠くんのお姉さんの車で、私まで送ってもらっちゃって」
 那奈たちよりも一足先に別荘に到着した知美は、悠に目を向ける。
 悠はそんな知美の言葉に、首を振った。
「姉さんも今日からこの近くの友達の別荘に遊びに行くところだったし、ちょうどよかったんだよ。ひとりもふたりも変わらないしね」
 知美の分の荷物をさり気なく持ってあげながら、悠は優しい印象の柔らかな声でそう言った。
 知美は自分の荷物を持つ悠の行動に微笑んだ後、彼に今まで不思議に思っていたことを聞く。
「あ、悠くんありがとーっ。それにしてもライバルなはずのアイちゃんまで呼んじゃって、いいの?」
 知美の言葉に、悠はふっとおもむろに笑みを浮かべる。
 それから広いリビングに移動して荷物を置いて、自信満々に口を開いた。
「ちゃんといろいろと手を打ってるから。何も考えがなくて先生を呼んだわけじゃないよ、知美ちゃん」
 悠のその発言に、知美はふわふわの茶色の髪を触りながらニッと笑う。
 そして、楽しそうに言った。
「ふーん、なるほどねぇっ。アイちゃんから那奈を奪っちゃおう計画とか企ててるってコト? 楽しくなりそーねっ」
 人の色恋沙汰が大好きな知美は、今時の女子高生らしい短いスカートの裾を少し気にしつつも近くの豪華なソファーに座る。
 悠はティーカップを複数用意しながら、そんな知美に目を向ける。
 それから色素の薄いブラウンの瞳をにっこりと細めて、こう言葉を続けたのだった。
「前にも言ったけど、きっと那奈ちゃんを振り向かせてみせるよ。期待してて」
「相変わらず強気ね、悠くんってば。でも、そんな悠くんの気持ちに気がつかない那奈もかなり鈍いけどねーっ」
「そういうところがまた可愛いんだよ、那奈ちゃんって」
 悠は育ちの良さそうな顔に笑みを宿したまま、知美と自分の分のティーカップに紅茶を注ぐ。
 そして知美に紅茶を出した後、再びキッチンへと戻って空のティーカップを運んでくるとそれらをテーブルの上に並べた。
「あ、ごめんね、紅茶まで淹れてもらって。私も何か手伝うから、何かあったら言ってね」
「ううん、大丈夫だよ。知美ちゃんはお客様なんだから、座ってて。それにね、知美ちゃんに今回来てもらえて本当に感謝してるんだよ、僕」
 そんな悠の言葉に知美はピンときたようにふっと笑い、顔を上げた。
「あ、もしかして私を呼んだのも、その悠くんの那奈略奪作戦の一部ってワケ? ま、私も避暑地で優雅に別荘生活楽しませてもらうから、全然構わないんだけどねーっ」
「いやだな、作戦の一部だなんて。大切な友達として知美ちゃんを別荘に招待したのは本当だよ。でもね、知美ちゃんがいたらあのふたりもベッタリってわけにはいかないと思うんだ。特にあの大河内先生の性格考えたらね。それだけでも感謝してるんだよ? 協力してくれだなんて、野暮なことは言わないから。ゆっくり楽しんでね」
「そうね。悠くんは私のお友達だけど、那奈も大事な友達だから。私は私なりに、私の思った通りに行動するってカンジでいいかな? あ、紅茶いただきまーす」
 知美は楽しそうにそう言って、悠の淹れた紅茶をひとくち飲んだ。
 それから、テーブルに並べられた複数の空のティーカップに目を向ける。
 ……その時。
「あれ? ねぇ悠くん、このティーカップって……」
 知美はふとあることに気がつき、テーブルに用意された品の良いティーカップをまじまじと見て小さく首を傾げる。
 それから、不思議そうに悠に視線を向けた。
 そんな知美の様子に、悠はふっと口元に微笑みを浮かべる。
 そして時計をちらりと見てから、聡明な顔ににっこりと満面の笑みを宿してこう言ったのだった。
「“オズの魔法使い”の童話でドロシーが期待に胸を膨らませながらエメラルドの都の宮殿を目指したように、那奈ちゃんもきっとここに到着する道のりを楽しそうにやって来てるんだろうね。愛しのドロシーが宮殿についたら、うんとおもてなしをしてあげないと」