那奈ちゃんの恋人は今、僕じゃないけれど。
 でも、僕は。
 大河内先生も誰ももう手にすることのできない、彼女の大切なものを貰った。
 そう……世界でたったひとつだけの、ドロシーの宝石を貰ったんだ。


 EXTRA SCENE ひとつだけの宝物


「さあ、次は那奈の番よ? 観念して話しなさいよぉっ」
 ――ある日の放課後。
 数人の女の子たちが、教室で楽しそうに話をしている。
 僕はそんな輪の中にいる那奈ちゃんに、ちらりと目を向けた。
「えっ、わ、私!?」
 那奈ちゃんは顔を真っ赤にさせて、周囲の女の子たちを見回す。
 何を話しているのかまでは分からなかったが、どうやら恋愛の話で盛り上がっているらしい。
 女の子は、人の色恋沙汰にすごく敏感だ。
 那奈ちゃんと大河内先生が付き合っていることは、クラスでは僕と知美ちゃんくらいしか知らない。
 今はまだ、那奈ちゃんは先生の恋人だけど。
 でも……いつかは、誰でもないこの僕が、那奈ちゃんのことを幸せにしてみせる。
 僕は誰よりも、那奈ちゃんのことを幸せにする自信があるから。
「えっ? いや、私の話はいいよ」
 周囲の女の子たちに話を急かされて、那奈ちゃんは困った顔をしていた。
 焦ったように黒髪をかき上げ、何とか話題を自分から逸らそうと頑張っている。
 だが周りの女の子も、そんな那奈ちゃんから何とか話を聞きだそうと盛り上がっていた。
 ……その時。
 ふと那奈ちゃんが、僕の方に視線を向ける。
 そしてバチッと僕と目が合った後、何故か彼女は顔を真っ赤にして俯いてしまった。
 一体、何の話をしているんだろう?
 そう疑問に思いながらも、僕は気にしていないように帰り支度をした。
 そして那奈ちゃんは、結局自分のことは話をしなかったみたいだった。



 その――帰り道。
 楽しそうに話をしながら隣を歩く那奈ちゃんに、僕はふっと視線を向けた。
 夕焼けでほんのり赤く染まった彼女の綺麗な黒髪が、風に吹かれてふわりと揺れている。
 僕が彼女と離れていたのは、2年弱程度だったのに。
 その2年間で……那奈ちゃんは、随分と大人っぽくなっていて。
 そして再会して綺麗になった彼女を見て、僕の彼女に対する想いはますます強くなったのだった。
 いつかきっと、大河内先生から君を奪ってみせるから。
 僕はそう強く思いながら、那奈ちゃんに微笑む。
 それから、気になっていたあのことを訊いた。
「ねぇ、那奈ちゃん。さっき教室で、何話してたの?」
「……えっ?」
 僕の質問に、那奈ちゃんは驚いたように大きく瞳を見開く。
 それから、顔を赤くして俯いてしまった。
「那奈ちゃん?」
 彼女の様子に、僕は首を傾げる。
 そんな僕を、那奈ちゃんはちらりと上目使いで見上げた。
 そして、恥ずかしそうにこう答えたのだった。
「あのね、みんなで話してたの。ファーストキスは、いつだったかって」
「ファーストキス……」
 那奈ちゃんがみんなに話をしなかった、その理由。
 それが、僕にはようやく分かった。
 だって……那奈ちゃんの、ファーストキスの相手は。
「やっぱり、みんなには言えないよね。小さかったとはいえ、相手がみんなの知っている人だったら」
「う、うん。悠くんにも、迷惑かかっちゃったらいけないって思ったし」
 ……そう。
 彼女の、ファーストキスの相手。
 人生でたったひとつの大切な那奈ちゃんの宝石を貰ったのは……誰でもない、僕だから。
「迷惑だなんてとんでもないよ。気を使ってくれてありがとう、那奈ちゃん」
「ううん、ごめんね。何か、こんなこと言っちゃって」
 真っ赤になって恥ずかしそうに俯く那奈ちゃんの顔は、またとても可愛らしくて。
 僕はにっこりと笑顔を彼女に向け、そして話題を変えてあげた。
「あ、そういえば那奈ちゃん。明日の数学の小テストなんだけど、どこが出るかな?」
「えっ? あ、そうだね。鳴海先生って結構難しい問題たくさん出すからね」
 まだ少し赤い頬に軽く手を添えながら、その時の那奈ちゃんは話題が変わってホッとしているみたいだった。


 ――あれは、何歳の頃だっただろうか。
 幼稚園の時だった気がする。
 那奈ちゃんと僕の両親の共通の知り合いの結婚式に出席した帰りだった。
『花嫁さん、すごく綺麗だったね。私もお嫁さんになれるかな、悠くん』
 昔から女の子らしかった那奈ちゃんは、すっかりウェディングドレス姿の花嫁に憧れていて。
 うっとりした目をする彼女に、僕は言ったのだった。
『僕が、那奈ちゃんをお嫁さんに貰うから。これで那奈ちゃんも、綺麗な花嫁さんになれるよ』
 その僕の言葉に、那奈ちゃんは本当に嬉しそうな顔をして。
 そして、僕のプロポーズにこう答えてくれた。
『本当に? 私も、綺麗なお嫁さんになれるかな』
『なれるよ、きっと。僕たち、大きくなったら結婚しようね、那奈ちゃん』
『うん。でも結婚って、どうやったらできるのかな?』
 うーんと考えるように立ち止まった那奈ちゃんに、僕は結婚式の時の様子を思い出す。
 花嫁さんと花婿さんが、していたこと。
 僕はよく考えた後、彼女にこう言った。
『キスすれば、結婚できるんじゃないかな? 花嫁さんもしてたよね』
『キス……うん、そうだね。花嫁さん、キスしてたね』
 僕は見よう見まねで那奈ちゃんと向き合って、彼女の肩に手を添える。
 そして。
『じゃあ僕たちも……キス、しようか』 
 それから、僕は。
 見よう見まねで――彼女の唇に、自分のものを重ねた。
 それが僕たちの、ファーストキス。
 最初で最後の、人生でたった一度だけの口づけ。
 そういえばあの時の那奈ちゃんも、さっきみたいに顔を真っ赤にさせて俯いてた。
 それから、嬉しそうにこう呟いていたっけ。
『私も、素敵なお嫁さんになれるかな……』
 そして、この時。
 子供ながらに僕は、那奈ちゃんのことを幸せにしてあげたいと……そう、強く思ったのだった。


 今はまだ、那奈ちゃんの恋人は大河内先生だけど。
 でも、僕は今でも信じている。
 僕が那奈ちゃんを、素敵な花嫁さんにしてあげるって。
 そして……すごく、嬉しかった。
 那奈ちゃんもあの時のことを、ちゃんと覚えててくれたっていうことが。
 彼女のファーストキスは――僕だけしか持っていない、大切な大切な宝物。


EXTRA SCENE -FIN-



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