黄金の天気雨・番外編 「恋妃」



 その日は――弧を描いた月が霞んで闇夜に滲む、朧月夜だった。
 そして白拍子一行が都を発って、すでに数時間が経過していた。
 だがその美しい貴族の少年・雨京に特に普段と変わった様子はない。
 お気に入りの稲荷神社の境内で、ただ黙って腰を下ろしている。
 昨日までは自分のすぐ目の前で、自分のためだけに舞を舞うしとやかな少女の姿があった。
 だがその少女の姿は、今はもうここにはない。
 偶然、つまらぬ貴族の宴の席で彼女を見た、あの時。
 自分だけのためだけに舞を舞わせたいと、何故だか思った。
 それは、ただの気紛れ。
 田舎から出てきた白拍子一団のしかも見習いな彼女は、それほど華があるわけでも、特別舞が上手いというわけでもなかった。
 だが、不思議と見ていて飽きなかった。
 健気に自分の言うことに従い、懸命にさほど上手くもない舞を舞う。
 自分のこともきちんとわきまえており、舞の終わった後いつも申し訳なさそうに汚れない瞳で自分を見つめていた。
 そして……艶やかなその唇にキスを与えるたび、顔を真っ赤にさせ月のように柔らかな笑顔を幸せそうに浮かべていた。
 だが――だから何だ。
 このまま京にいろなどと、あの娘に告げる必要が自分にはあるのか。
 面倒事は御免だし、ひとりが気楽だ。
 何よりも自分は半妖で、彼女は人間。
 生きていく時の流れが違いすぎるのだ。
 しかも自分が狐の妖怪であることを、彼女は知らない。
 父はそれでも人間である母を娶ったが。
 母は、あっけなく流行り病でこの世を去ってしまった。
 自分は、父とは違う。
 長い人生だからこそ、面倒事は御免だ。
 雨京は鬱陶しそうに前髪をかき上げ、小さく息をつく。
 それから、頬を撫でる風を感じながら瞳を閉じた。
 そして――ぼんやりと闇夜に浮かぶ月が雲間に隠れた、その時だった。
「…………」
 雨京は、ふと閉じていた両の目を開く。
 先ほどまでは月明かりに照らされ微かに明るかった世界が、今は雲に覆われてどんよりと薄暗い。
 雨京は遠くを見据え、チッとひとつ舌打ちをする。
 それから急に立ち上がり、何処かへと赴くために小さな稲荷神社を後にしたのだった。



 ――その、ちょうど時を同じくして。
 夜の山道を歩きながら、若菜はちらりと背後を振り返る。
 そして、再び何事もないかのように歩き出した。
 京で過ごした数週間、若菜にとってはとても充実した日々だった。
 結局、白拍子一行は都で一旗あげることはできなかったけれども。
 それでも、若菜には十分だった。
 何よりも京で出会った、美しい貴族の少年。
 自分のような田舎娘が、あんなに綺麗な人とひとときの時間でも共に過ごすことができたなんて。
 幸せないい思い出だったと改めて感じながら、若菜は都に背を向けて一歩ずつ歩みを進める。
 それにしても、京を出てすでに数時間。
 夜には山越えを終えたかった一行であったが、思った以上に時間がかかり、すっかり夜も更けてしまった。
 聞くところによると、山を越えてすぐのところに宿があるはず。
 こんな薄暗い山道で野宿をするよりも、もう一息歩いて宿に辿り着きたい。
 一行はそう話し合い、夜の山道をひたすら下っていた。
 ――その時だった。
「! あ……っ」
 若菜は短く声を上げ、その場にしゃがみこむ。
 旅を共にしている仲間たちが、その声に振り返った。
「草鞋(わらじ)が切れちゃっただけだから。すぐ追いつくから、先に行ってて」
 若菜は切れた草鞋を手にして、そう仲間たちに告げる。
 それから予備のために編んでいた新しい草鞋を取り出し、履き替えた。
 まだ京を離れて一日も経っていないというのに。
 もう一足駄目になってしまったなんて、幸先が悪い。
 使い物にならなくなった草鞋を道の端に捨て置き、若菜は改めて立ち上がった。
 そして先に進んだ一行に追いつこうと、一歩足を前に踏み出す。
 だが……次の瞬間だった。
 耳に聞こえてきたのは、人間の叫び声。
 そして一瞬にして目の前に広がったその光景に、若菜は目を見開いたまま固まってしまった。
 さっきまで一緒に旅をしていた仲間たちの身体が、地に横たわっている。
 暗くてはっきりとは見えないが、地面にはまだ真新しい真っ赤な鮮血が広がっていた。
 そして――その場にいたのは。
 大きく裂けた口に、真っ赤な肢体。
 それは山に棲み人間を喰らうと言われている“鬼”の姿だった。
 山に入った旅人の消息が分からなくなった時は、きっと“鬼”に喰われたのだろうと。
 そう、冗談で話す人もいたが。
 まさかそんな“鬼”が、実際に存在するだなんて。
 それよりも、早くこの場から逃げないと。
 そう頭では分かっていた若菜だったが、あまりの恐怖で動くことすらできない。
 自分もここで、この“鬼”に喰われてしまうのだろうか。
 そう思った……その時だった。
「! きゃっ!」
 若菜は声を上げ、思わず手の平で目を覆う。
 それと同時にカアッと眩い黄金の光が周囲を包み、大きな衝撃音が鳴り響いた。
 今度は一体、何が起こったのだろうか。
 シンとした夜の静寂が戻り、その金色に輝く光が収まったのを確認して、若菜は恐る恐る目を開く。
 そんな彼女の瞳に映ったものは。
 背中を流れるような金色の長い髪に、九尾の尻尾。
 その瞳は美しい宝石のような真紅を帯びている。
 いつの間にか彼女の目の前にいたのは恐ろしく醜い様相の“鬼”ではなく、まるで狐の化身のような美しい存在だった。
 恐らく、目の前の彼も人間ではないだろう。
 だが先程の“鬼”とは違い、不思議と恐怖は感じなかった。
 それどころか、彼が自分のことをあの“鬼”から守ってくれたのだろうと。
 若菜はそう、確信したのだった。
 そして――この美しい狐の化身が、あの人ではないかということも。
 風に靡く金色の髪をふっとかき上げた後、一瞬だけ狐はちらりと彼女に真紅の瞳を向ける。
 それから何も言わず、その場を去ろうとした。
「あのっ!」
 若菜は咄嗟に、そう彼に声を掛けていた。
 ピタリと、一瞬だけ彼の足が止まる。
 その様子を確認した後、若菜は続けてこう言ったのだった。
「お待ちください、雨京様……っ!」
「…………」
 その狐の化身――妖狐体に変化した彼・雨京は、ふっと若菜を振り返る。
 そして、ゆっくりと口を開いた。
「俺の正体は見ての通り、狐の妖怪・妖狐だ。おまえ、この俺様が怖くないのか?」
 雨京の言葉に、若菜は大きく首を振る。
 そしてその顔に柔らかな笑顔を宿し、彼の問いに答えた。
「どうして雨京様のことを怖いと思うのですか? それに貴方様は、この私を助けてくださったじゃないですか」
「…………」
 雨京はじっと若菜を見つめながら、赤を帯びた両の目を細める。
 風に乗って感じた異様な血の臭いに気がついたのは、つい先程のことだった。
 滅多に現れることのない“鬼”が、腹を空かせて活動を始めたのだろう。
 そのことが、稲荷神社にいた雨京には分かったのだった。
 普段なら“鬼”が人を狩ろうが何をしようが、自分の知ったことではないが。
 問題は……その血の臭いが、若菜たちが入っていった山の方角からしていたことであった。
 最初は放っておこうかとも思った雨京だったが。
 何故か気がつけば妖狐体に変化し、若菜の元へと向かっていたのである。
 そして、まさに彼女を襲おうとしていた“鬼”を黄金の妖気で滅したのだった。
 雨京は真っ直ぐに若菜を見つめ、彼女に数歩近づく。
 それから、大きな手で彼女の頬をそっと撫でた。
 若菜はその手の感触に微笑み、幸せそうに瞳を細める。
 そんな彼女の小さな身体をぐいっと自分の胸に引き寄せ、そして雨京は彼女にこう言ったのだった。
「若菜。おまえはこれからずっと、この俺様のためだけに舞を舞え。分かったな」
「雨京様……」
 若菜はその言葉にふっと顔を上げる。
 それから少し照れたようにコクリと頷いた。
「はい、ずっと雨京様のおそばにおります」
 若菜の返答を聞き、雨京は満足そうな表情を浮かべる。
 それから、彼女の顎を軽く持ち上げた。
 ――そして。
 彼の唇が、ふわりと彼女のものと重なる。
 例えその一生が、自分のものと比べて儚いものだとしても。
 その短い間だけでも、この娘と共有しても悪くはないかもしれない。
 それは、いつもの狐の気紛れ。
 だが……このか弱い人間の娘を守ってやるのも、たまにはいいだろう。
 雨京は若菜の髪をそっと撫でながら、もう一度彼女に柔らかな接吻を与える。
 それと同時に美しい黄金の光がふたりを包み込む。
 そしてその金色の妖気は、雲間から再び顔を出した朧月の淡い光と混ざり合ったのだった。


   


「あの子は昔から、本当に不器用なんだよね」
 くすっと楽しそうに笑い、聖は息子と同じ色をしたブラウンの瞳を細める。
 和奏は小さく微笑み、聖の言葉に頷いた。
「すごく、あの人らしいな」
 聖は和奏に優しい目を向け、敢えてそこで昔話を終わらせる。
 ……その後の若菜と彼のことは、和奏も以前聞いていた。
 彼の強い妖気と若菜の体質が合わず、彼女はその短すぎる一生を終えてしまったと。
 そして彼は自分自身を封じ、長い眠りについたのだという。
 せっかく想いが通じ合い、結ばれたという矢先の別れ。
 普段自分の思っていることを表に出さない彼だが、和奏は彼のその時の心情を思うと、胸が締め付けられるような切ない気持ちになるのだった。
 強引で、俺様至上主義な彼だけれども。
 その奥底で見え隠れする本質は、とても不器用で寂しがりやなのである。
 それが、和奏にはよく分かっていた。
 そして彼は、自分との約束を必ず守ってくれる。
 彼のそんなところも含めたすべてが、和奏は大好きなのである。
 聖はふと小さく俯いている和奏に、にっこりと笑顔をみせる。
 それから空気のように澄んだ優しい声で、こう言ったのだった。
「過去のことは確かに残念だったけど。でもあの子は、素敵な人をちゃんと見つけてくれたからね。僕はあの子の親として、今日という日が本当に嬉しいんだよ」
「聖くん……」
 和奏は顔を上げ、自分を見守っている聖に目を向ける。
 そんな彼女の頭を軽く撫でた後、聖は悪戯っぽく笑みを浮かべた。
 それからひらひらと手を振り、部屋の出口へと歩き出す。
「さてと。あまり和奏ちゃんを独り占めしてたら、あの子に怒られちゃうかな」
 そう言った後、聖はおもむろにもう一度振り返った。
 そしてドアを開けてから微笑み、彼女にこう言葉をかけたのだった。
「とても綺麗だよ、和奏ちゃん。純白のドレスがすごくよく似合ってるよ」
 聖の言葉に少し照れたように、和奏は笑顔を返す。
 そんな和奏が着ているのは――真っ白なウェディングドレスだった。
 聖はまだ結婚式開始までに時間があるのを確認した後、一旦小さな可愛らしい教会の外に出る。
 生憎、外は小雨がぱらついていたが。
 聖はふと空を見上げ、ブラウンの瞳をそっと細めた。
 それと同時に、今まで隠れていた太陽が雲間から僅かに顔を出す。
 天から落ちる雨粒が太陽の光に照らされ、黄金色の輝きを放ち始めた。
「黄金の天気雨、か……今日は“狐の嫁入り”ってより、“狐に嫁入り”ってカンジかな?」
 そう言って、聖はくすっと楽しそうに微笑む。
 そしてふたりで出した答えに辿り着き、これから手を取り合って歩んでいく愛息子たちに。
 聖は親として大きな喜びを感じ、彼らに心からの祝福を送ったのだった。


 その――同じ頃。
 黄金の天気雨が降る、窓の外の景色にも気がつかずに。
 今日というこの日、晴れて人生の伴侶となるふたりは。
 ほかに誰もいない教会の花嫁控え室で、少し早い誓いのキスを交わしていたのだった……。


番外編「恋妃」・完



<あとがき>
黄金の天気雨・番外編「恋妃(こいおとめ)」を読んでくださり、ありがとうございました!
この話は、この作品の一応の集大成というか……本当のラストシーンという感じで書きました。
先生の過去の恋の話は本編でもちらりと出てきたんですが、それを少し詳しく書いてみようと。
そしてふたりが辿り着いた答えがカタチになるというこの日に、父親である聖くんから語ってもらいました。
いえ、雨京先生が自分でこういう話をするとは到底思えなかったんで(笑)
それからタイトルの「恋妃(こいおとめ)」ですが、実はあるアーティストの曲名だったりします;
あまり曲の歌詞とこの話は関係ないのですが、個人的にマリちゃんの過去のテーマ曲だったんで(何)
そして「こいおとめ」の「おとめ」が「妃」という字だということが、この日の和奏ちゃんにもぴったりかなーとかも思ったんで(強引;)

そしてこの番外編で、ようやく「黄金の天気雨」という作品はひと段落ついたなーと、自己満足な気持ちです(笑)
この作品を読んでいただいた読者様には、どれだけ感謝してもし尽くせません。
本当に今までこの作品にお付き合いいただき、どうもありがとうございました!