黄金の天気雨



 番外編 恋妃

 先程まで降っていた雨も今は止み、雲間から太陽が顔を見せ世界を照らす。
 雨の染みたアスファルトがキラキラと反射し、眩しい光を放っていた。
 そして、地上に降り立ったのは――神々しいまでの大きな光。
 カアッと一瞬目を覆うほどの輝きを放った後、それは人型を成す。
 年は、17,8ほどだろうか。
 神秘的で柔らかい印象を受ける顔立ちの、美形の少年。
「あ、間違えちゃった。今日はこれじゃまずいんだった」
 その少年・五十嵐聖はそう呟いた後、スッと澄んだ両の目を閉じる。
 同時に、身体から立ちのぼる光が彼の身体を包んだ。
 そして。
「よし、これで完了っと。んー、いつ見てもダンディーな紳士だねぇっ、僕って」
 近くのガラスに自分の姿を映し、聖は満足そうに頷く。
 そんな彼の姿は先程の少年のものとは違い、五十半ば程の上品な紳士の姿に変わっていた。
 色素の薄いブラウンの髪を一度だけかき上げた後、太陽の眩しさに同じ色の瞳を細める。
 そして、目の前のある建物へと入っていった。
 すれ違う人たちに愛想良く挨拶をしながらも、聖はふと顔を上げる。
 それからスタスタと一番奥の部屋の前にやって来ると、ドアをトントンとノックした。
「はい、どうぞ?」
 部屋の中から聞こえてきたのは、可愛らしい穏やかな印象の声。
 聖はカチャリとドアを開けてその部屋に入ると、椅子に座っている彼女に無邪気に笑った。
「和奏ちゃん、こんにちは」
「こんにちは、聖くん……あっ、ごめんなさい」
 部屋にいた人物・桜井和奏はダークブラウンの瞳を見開き、思わず手の平を口に当てる。
 そんな彼女の様子に、聖は小さく首を振って優しく微笑む。
「別に構わないよ、和奏ちゃん。今はこの部屋に誰もいないから、聖くんでも。僕こそ、忙しい時に来ちゃってごめんねぇ」
 和奏は椅子に座った聖に目を向け、言葉を返した。
「ううん、私も今ちょっとひと段落してて、誰か話し相手が欲しかったの。聖くんが来てくれて嬉しいよ」
 彼女の言葉を聞いてにっこりと笑顔を宿し、聖は改めて目の前の和奏をじっと見つめる。
 それから、ふと口を開いた。
「じゃあ、少し話をしようか。何の話がいい?」
 聖の問いかけに、和奏は少し考える仕草をする。
 そして、こう答えたのだった。
「そうね、じゃあ……あの人の昔の話、とか聞きたいな」
「彼の昔の話?」
「うん。全然そういう話、してくれる人じゃないから」
 聖は楽しそうに笑ってから、大きく頷く。
「そうだね、性格的にそーいう話したがらないタイプだもんね。いいよ」
 その後瞳を細め、聖は一呼吸置いた。
 それから、ゆっくりと話を始めたのだった。


      


 ――時は、平安中期。
 あたたかな木漏れ日が降り注ぐ中、いつもの場所に彼はいた。
 年は、今年で十七になる。
 茶色かかったサラサラの髪と、整った顔立ち。
 そんな彼の髪を、優しい風がそっと揺らす。
 ……その時だった。
 彼はおもむろに伏せていた瞳を開くと、途端に眉を顰める。
 そして切れ長の瞳を、いつの間にか目の前に現れた人物へと向けた。
「またここにいたんだ、雨京」
「何しに来た? 用がないんなら、さっさと失せろ」
 チッと舌打ちをし、その少年・雨京は気に食わない表情でそう言った。
 だが彼のそんな言葉を全く気にすることもなく、現れた人物は笑う。
「何、もしかしてそれって、親に対する反抗期とか? ふふっ、可愛いなぁ、雨京は」
 からかう様な相手のその態度に、彼はますます顔を顰める。
「失せろって言ってんのが聞こえないのか? ぶっ殺すぞ」
「まぁそう言わないでよ。ちゃーんと用事で来たんだからさ」
 彼の父親である人物・聖は、くすくすと笑ってから言葉を続けた。
「何か有名な白拍子一行が、今京に来てるんだって。それで今日の夜、その白拍子を招いた宴があるんだけど。たまには雨京も一緒にどうかなーって」
「あ? 興味ねぇよ。勝手におまえだけ行けばいいだろ」
 冷たくそう言い放ち、雨京は再び近くの柱に背をもたれる。
 聖は彼の返答を予想していたかのように瞳を細めると、わざとらしく口を開く。
「そう。まぁ君がそーいうなら無理にとは言わないけど。でも……今日の宴は、何かちょっと面白いコトがありそうな予感がしてさ。まぁ、気が向いたらおいでよ」
「おまえの面白いコトは、ろくなコトじゃねーからな。てか、妖怪が正体隠して陰陽師とかやってるなんて、馬鹿馬鹿しいったらねぇな」
「それを言うなら、妖怪だから、だよ。下等な妖怪をちょいっと退治するだけで、楽しい京暮らしできるんだからさ。陰陽師って、半分くらいが人間界で遊びたい妖怪だし。それに陰陽師って貴族でもそんなに高くも低くもない地位で、楽でいいよ。んじゃ、またねー」
 聖はそれだけ言うと、息子にひらひらと手を振る。
 その瞬間、カッと眩い光が弾けた。
「…………」
 雨京は天高く舞う狐を象った光を見つめながら、切れ長の瞳を細める。
 それからその場所――静かな稲荷神社の境内にもう一度横になった。
 父親である聖は、人間ではない。
 狐の妖怪・天狐なのだ。
 だが妖怪にしては珍しく、父は何故か人間のことが異様に好きで。
 雨京の母も、人間の女性だった。
 綺麗な顔立ちはしていたが、慎ましやかで決して派手ではなく、何よりも従順な人で。
 究極のマイペースである父のことを、いつも微笑ましい柔らかな笑顔で見守っていた。
 とはいえ、人間の一生は短くて儚い。
 数年前、彼女は病で他界した。
 父親が妖怪であるため、息子の雨京も同じ妖狐である。
 細かく言うと、妖怪と人間のハーフである半妖なのだが。
 多少純粋な妖怪である父よりも妖力が劣るということと、人間の身体を元から持っているというだけで、あとは普通の妖怪と何ら変わりない。
 まだ当分長いだろう自分の寿命に、雨京はむしろ少しうんざりしていた。
 父のように華やかな宴に興味があるかといえば全くなく、周囲に気に入る女もいない。
 お気に入りの稲荷神社で昼寝をすることが、唯一の楽しみというくらいで。
 平穏を壊す気は全くないが、平穏すぎて欠伸が出る。
「…………」
 雨京はもう一度考えるような仕草をした後、ふうっと小さく息を吐いた。
 それから差し込める木漏れ日にブラウンの瞳を細めた後、その両の目を再び伏せたのだった。



 ――その日の夜。
 大して面白くもなさそうな表情で、雨京は目の前で舞う白拍子に目を向けた。
 確かに今評判の白拍子なだけあり、その舞はもちろん見事なもので。
 舞だけでなく、容姿も派手で眩いばかりに美しい女ではあるが。
 全く興味もなければ、好みでもない。
 それにこういう宴は昔から面倒で好きではない。
 気が向いて父の誘いに乗った雨京だったが、すぐに白拍子から視線を逸らしてブラウンの前髪をかき上げた。
 逆に父親である聖はそんな息子の様子をちらりと見ては、何やら意味あり気な笑みを浮かべている。
 宴などやはりくだらない、余程ひとりでいた方が楽しい。
 雨京がそう思った――その時だった。
 雨京はふともう一度顔を上げ、何かに気がついたように瞳を細める。
 そんな彼の目に映っているのは、目の前の派手で美しい白拍子などではなかった。
 ……白拍子の見習いか何かだろうか。
 裏方の仕事をせっせとこなしている、若いひとりの少女の姿だった。
 決して派手でもなくパッと見だけでは華も感じないが。
 彼女の持つ雰囲気は、不思議と柔らかで淡い。
 そのことが、遠くでちらりと見ただけで彼には分かった。
「あの娘……」
 雨京はそう呟き、肘で頬杖をつく。
 それから改めて一生懸命健気に働いているその少女を、じっと見つめた。
 それが――彼が彼女と出会った、初めての瞬間だったのである。