黄金の天気雨_



 番外編 アンブラスモア

 ある、秋の日の昼休み。
 いつもの如く国語教室で昼食を取りながら、和奏はちらりと目の前の雨京先生に目を向けた。
 先生はそんな和奏に構わず、彼女の手作りいなり寿司をパクパクと口に運んでいる。
 ――封印が解けて再び先生のいる学校生活が戻ってきてから、数週間が経過していた。
 そしてその数週間、かねてからの宣言通り、封印前よりも和奏に対する先生のスキンシップはひどくなっていたのだった。
 そのためか、和奏の身体は今では雨京先生の妖気にかなり慣れていた。
 どうやら身体の変調は一時的なもので、先生の妖気と彼女の体質の相性は悪くなかったようである。
 和奏は玉子焼きをひとくちパクッと食べながら、あっという間にいなり寿司を平らげた先生をもう一度見る。
 そんな和奏には、ある疑問があった。
 それは……今の、先生と自分の関係は何なのだろうかということ。
 封印が解けたあの日、雨京先生が自分にとって大切な人だということに気がついた。
 そして先生も、たぶんそんな自分の気持ちに応えてくれたのだと思う。
 だが、あれから特に先生は何も言わない。
 スキンシップはひどくはなったが、彼が言うことやすることは前とあまり変わらないのだ。
 とはいえ、ふたりで一緒にいる時間は格段に多くなったし、休日だって何気にいつも会っている。
 会っているというか、正確には呼び出されていると言った方が正しい気もするのだが。
 でも強引に呼び出されていると言っても、もちろん自分も嬉しい。
 特に会って何かするわけでも、会話がすごく盛り上がるというわけでもないが。
 ふたりで一緒にいるだけで、それだけで幸せな気持ちになるのだ。
 やはり頻繁にふたりで会っているし気持ちも通じ合っているし、これは付き合っていると言ってもいいんだろうか。
 うーんと考える仕草をしながらも、和奏はひとくちお茶を飲んで気を取り直す。
 大切なのは、先生と自分が付き合っているかどうかよりも。
 ふたりで一緒にいられること。
 それが、何よりも幸せなことなのだから。
 そう思い直し、和奏は湯呑みを机に置く。
 それよりも和奏には、雨京先生に言い出せないことがあった。
 なかなか彼に話を切り出すタイミングを掴めず、和奏はふうっと小さく息をつく。
 ――その時だった。
「ったく、相変わらずトロトロ飯食ってんじゃねーぞ。さっさと食い終われ」
 自分の昼食を終えた先生は、じれったそうに切れ長の瞳を和奏に向けた。
 和奏は再び箸を手に取り、先生に視線を返す。
 それからようやく、遠慮気味に話を切り出したのだった。
「あの、雨京先生」
「何だ」
 机に頬杖をつき、先生は和奏を見つめて彼女の次の言葉を待つ。
 和奏はそんな先生に、こう言った。
「明日の土曜日……私、誕生日なんです」
「それがどうした」
「えっ? いえ、それだけなんですけど」
 すぐさま素っ気無く言葉を返されて、和奏はそれ以上どう言っていいのか分からなくなってしまう。
 今までの先生のことを考えると、十分に予想できた反応なのだが。
 これだけのことを言うのにすごく時間がかかった自分が、何だかすごく間抜けだ。
 そう思いつつ、和奏は諦めたようにウインナーをつまむ。
 雨京先生は相変わらず表情を変えないまま、ブラウンの前髪をかき上げた。
 そして、おもむろに口を開いたのだった。
「明日、いつもの場所に11時だ」
「え?」
 急にそう言われ、和奏はきょとんとする。
「え? じゃねーよ。1秒でも遅れたら祟るぞ」
 口調はいつも通り有無を言わせぬものだったが、和奏はそんな先生の言葉に嬉しそうに頷いた。
 それから少しだけどうしようか考えた挙句、おそるおそる再び口を開く。
「あの、先生。明日は誕生日だし、もしよかったらでいいんですけど、お願いがあるんです」
「お願い? 何だ」
 じろっと先生の視線が、再び和奏に向いた。
 和奏は緊張の面持ちを浮かべ、ふうっとひとつ息をつく。
 そして意を決して、こう続けたのだった。
「明日、私とデートしてくれませんかっ?」
「あ? デートなら、いつもしてるじゃねーかよ」
 あっさりとそう返され、和奏は顔を真っ赤にする。
 やはり、いつもふたりで会っているのはデートだったんだ。
 そう改めて思いつつも、和奏は首を振る。
「いえ、そうなんですけど。何て言うか……恋人同士みたいなデートっていうか、ふたりで街を歩いたりとか、買い物したりとか……」
 どう言っていいか分からず、和奏はしどろもどろになる。
 いつも休日会った時に行くコースは、大抵決まっていた。
 しばらくドライブした後に食事を取って、昼寝をする。
 それでも幸せだし、不満はないのであるが。
 たまには少し違ったデートもしてみたいと、ちょっぴり思っていたのだった。
 でも、どう説明していいのか分からない。
 やはり自分の行きたいところに先生を連れて行くなんて、無理な話なんだろうか。
 和奏は半ば諦め気味に小さく嘆息した。
 雨京先生は、そんな彼女の様子をじっと見つめる。
 それから、彼女に言ったのだった。
「何だ、おまえ。街歩いたり買い物したりしたいのか? じゃあ、駅前に11時だ」
「……え? ええっ!?」
 意外な先生の返事に、和奏は本気で驚いた顔をする。
 彼女の反応に、先生は眉を顰めた。
「何素っ頓狂な声出してんだ? おまえがそうしたいって言ったんだろーが。ていうか、どこに行くか考えとけ」
「えっ、あ、はいっ」
 慌てて和奏は首を縦に振る。
 そしてパッと表情を明るく変えて、嬉しそうに微笑んだ。
 まさか先生が承知するなんて、思ってもいなかった。
 和奏は何故か鼓動を早める胸を押さえ、はあっと落ち着くために大きく深呼吸をする。
 明日がどんなデートになるのか、考えただけで妙にドキドキしてしまう。
 しかも、行きたいところを考えておけ、だなんて。
 今まで自分に全く決定権がなかっただけに、どこに行こうかそう言われると迷ってしまう。
 和奏はいろいろと考えを巡らせながら、ふと俯く。
 ――その時だった。
「っ、きゃっ!」
「おまえが飯食い終わるの待ってたら、昼休み終わる」
 突然後ろからガバッと抱きしめられ、和奏は顔を上げる。
 待ちきれなくなった雨京先生が、いつの間にか背後に移動してきたのだった。
 雨京先生は和奏のブラウンの髪を撫でながら、耳元で彼女の名前を呼ぶ。
「……和奏」
 低いバリトンの声が響き、吐息が耳をくすぐる。
 和奏はその感覚に、思わず顔を赤らめた。
 雨京先生はそんな和奏の反応を見た後、彼女の耳に唇を這わせ、軽く甘噛みする。
「あ、ん……っ」
 先生の柔らかな唇の感触にびくっと身体を震わせ、和奏は声を漏らしてしまった。
 ここは学校で、今はまだ人もたくさんいる昼休みなのに。
 誰かに見られでもしたら、どうするんだろうか。
 そう思いつつも和奏は、先生の唇にされるがまま、こみ上げてくる感情に頬を紅潮させた。
「和奏」
 雨京先生は耳から唇を離すと、もう一度彼女の名を呼ぶ。
 和奏はそんな先生の声に、ふっと振り返った。
 それと同時に先生の唇が彼女のものと重なり、スルリと舌が滑り込んでくる。
 和奏はおもむろに瞳を閉じ、落とされる彼のキスを受け入れた。
 そしてそんな口づけの後、照れくさそうに俯きながらも幸せそうな微笑みを浮かべたのだった。