黄金の天気雨_ 番外編 狐と狸と女子大生



 遅れてやってきた千波という少女は、ほかのふたりと比べて大人しい印象の子だった。
 話に盛り上がる友人や聖の会話に軽く相槌を打つくらいで、あまり積極的に自分から話をするタイプではない。
 司紗はさり気なくそんな彼女の様子を見ながら、ふっと漆黒の瞳を細める。
 そして。
『きっと司紗くんにとっても、すごく興味深い合コンになると思うから』
 聖が自分に言った、この言葉。
 その言葉の意味がようやく司紗には分かったのである。
「あ、ごめん。ちょっと電話してくるね」
 急にブルブルと震え出した携帯を握り締め、千波はそう言って席を立った。
 そして、そそくさと店の外へ出て行く。
 そんな彼女の後姿をちらりと見送ってから、司紗は小さくひとつ嘆息する。
 それから少し考えるような仕草をした後、彼女に続いてさり気なく席を離れたのだった。
「あれ? 白河の旦那はどちらへ?」
 女の子たちと楽しそうに話をしていたヤマダは席を立った司紗の様子に気がつき、聖に訊く。
 聖はお酒をひとくち飲んだ後、綺麗な顔に笑みを浮かべた。
「司紗くん? さぁ、どーしたんだろうねぇ。何か気になることでもあったのかな?」
 くすくす笑いながら楽しそうに答えた聖を見て、ヤマダはますます不思議そうな顔をする。
 聖はそんな彼の肩を軽くポンポンと叩いてから、再び女の子たちと話を始めたのだった。



 席を立って店の外へ出た司紗は、ふとその表情を変える。
 すでに日も沈み、冷たい夜風が彼の漆黒の髪をそっと揺らした。
 そんな彼の耳に聞こえてくるのは。
「どうしてっ!? 今度の日曜日、一緒に旅行行けるって言ってたじゃないっ……え? 子供の父親参観だった? そんなっ」
 店の外で電話している少女・千波は、合コンでは見せなかったような険しい表情を浮かべて声を荒げる。
「ていうか、いつになったら奥さんと別れてくれるのよ!? いつか近いうちにって、いつ!?」
 会話の内容からして、どうやら千波は妻子ある男性と不倫関係にあるようだ。
 そんな関係に不満が募り、渦巻いた感情が彼女の身体から溢れ出ているのが術師である司紗には見えた。
 電話で言葉を捲くし立てる彼女は瞳に涙を溜めつつも、尚もしばらく相手の男性に食い下がっていたのだが。
「奥さんと子供が、なによ……っ」
「!」
 その瞬間。
 司紗は顔を上げ、表情を変える。
 ギュッと強く唇を噛んだ、目の前の千波から感じるのは……。
「奥さんと子供なんか、いなくなればいいのに……っ」
 憎々しげに口から漏れる、醜い感情。
 そんな彼女の身体からは、邪悪な気配が漂っていたのだった。
 彼女に憑依している、人外の存在。
 それは、禍々しい妖気を放っている。
 司紗は慎重に彼女の様子を見ながらも、ポケットから一枚の術符を取り出した。
 ――この千波という少女が店に現れてすぐ、司紗は妙な違和感を感じた。 
 そして、聖が自分に言ったこと。
『きっと司紗くんにとっても、すごく興味深い合コンになると思うから』
「僕にとっても、興味深い合コン……そういうことか」
 司紗はそう呟き、ふっと漆黒の瞳を細める。
「もう、いいわよっ! 子供の参観でも何でも、勝手に行けばいいんだわっ!」
 しつこく粘っていた千波だったが、ようやく諦めてそう言い放つ。
 そして苛立ったように携帯電話の通話終了ボタンを押し、グッと握り締めた拳を振るわせた。
 そんな彼女の瞳に見えるのは――奥さんと子供に対する醜いまでの感情の淀み。
 さらに、それを煽っているのは。
「あ……」
 千波はふと顔を上げ、ようやく自分を見つめている司紗に気がついた。
 それから、気まずそうに口を開く。
「もしかして……今の会話、聞いてた?」
 司紗は端正な顔に笑顔を作り、小さく頷いた。
「悪いとは思ったんだけど、聞かせてもらったよ」
「…………」
 千波は複雑な表情をし、俯いてしまう。
 だがそんな彼女に、司紗はすかさずこう言葉を続けたのだった。
「不倫もあまり感心しないけど……それ以上に、そんなものに憑依されちゃ駄目だよ」
「え? ……っ!!」
 その瞬間だった。
 司紗は素早くその手に霊気を漲らせると、術の詠唱を始める。
 そして術をかけた術符を、千波の身体に貼り付けたのだった。
「! なっ!? ……きゃあっ!」
 千波は瞳を大きく見開き、思わず声を上げる。
 それと同時にカアッと光が弾け、周囲を包み込んだ。
 それからドサリと音を立て、千波の身体が崩れるように地に倒れたのだった。
 司紗は表情を引き締め、そしてふと上空に視線を向ける。
 そこにあるは……漆黒の妖気を放つ、煙のような存在。
「人間の負の感情に憑依して心を支配する、妖(あやかし)か」
 それだけ言うと、司紗は再び掌に霊気を宿した。
 妖(あやかし)。
 妖怪のように実体があるわけでも特別な強い妖気を持っているわけではないが、人間の醜い感情を煽り、人間に害を及ぼす存在。
 千波は不倫という関係に対する不満によって生まれた嫉妬や憎しみの感情をつけこまれ、この妖に憑依されていたのだった。
 今はまだ憑依されてそんなに日が経っていないらしく、大事には至らなかったが。
 このまま放っておけば妖に唆され、相手の奥さんや子供に危害を加えるような行動に出ていただろう。
 司紗は術によって千波の身体を離れた妖に、キッと鋭い視線を向ける。
 そして、一閃。
 人間に害を及ぼす妖を滅すべく、眩い衝撃を放ったのだった。
 刹那、目を覆う程の大きな輝きが弾ける。
 それから数秒後、何事もなかったように再び静かな夜の闇が戻ってくる。
 司紗は霊気を放った右手を収めると、ふっとひとつ息をついた。
 そして邪悪な妖の気配は、すでに彼の目の前から消滅していたのだった。
「全く、初めから妖を退治させるため僕を合コンに誘ったんでしょう? 何も言わないなんて、随分じゃないですか?」
 ふと司紗はわざとらしく大きく嘆息し、おもむろにそう言い放つ。
 くるりと振り返った後、いつの間にかその場に現れた人物に視線を向けた。
 司紗のそんな言葉に、その人物は大袈裟に首を振る。
「いやだな、司紗くん。そう言わないでよ。てか、その千波ちゃんが一番僕の好みだなって思ったのに、よりによって妖が憑いてるんだもん。いくら僕が強いって言っても、妖を人間から引き離すことは術師でないとできないからね」
 くすくす笑いながら、その人物・聖はブラウンの瞳を細める。
 それから、こう続けたのだった。
「でも、もう千波ちゃんは諦めるかなー。好きな人もいるみたいだし」
「好きな人、か……」
 彼女の好きな人は、妻子ある不倫関係の男性。
 もしかしたら、またあらぬ感情が別の妖を呼ぶかもしれない。
 そう心配した司紗だったが。
 聖はそんな彼の心を読んだかのように、にっこりと微笑んで口を開く。
「大丈夫だよ。もうそんなことはないと思うから」
「そんなことはないって、どういうことですか?」
「まーまー。さ、千波ちゃんが今起きちゃっても何か面倒だし、合コンしに戻ろっか、司紗くんっ」
 まだ気を失って倒れている千波をすぐそばにあったベンチに座らせた後、聖は無邪気に笑った。
 司紗はちらりと千波を見て少し考えるような仕草をしたが、何も言わずに頷く。
 妖から開放された千波の顔は健やかで、気持ち良さそうに眠っている。
 もうあと数分も経たないうちに、彼女も目を覚ますだろう。
 司紗はそう判断し、漆黒の前髪をかき上げる。
 そして手招きする聖に続いて、店に入って行ったのだった。


      *


 ――次の日の朝。
 普段通り学校に向かう途中の道のりで、司紗はふとその足を止める。
 そして大きく嘆息し、言った。
「まだ僕に何か用ですか?」
「おはよー、司紗くん。昨日は楽しかったねっ」
 いつの間に現れたのか、無邪気にひらひらと手を振っているのは聖だった。
 妖を滅して――あれからしばらくして、千波も店に戻ってきた。
 もちろん普通の人間の彼女には妖の存在は知覚できないものであったし、自分に憑依していた妖が消滅した時の記憶も一切残ってはいなかったのである。
 それからは何事もなかったかのように、彼女も合コンをそれなりに楽しんでいたようだった。
 そして結局合コンがお開きになったのは、夜もかなり更けた時間であった。
 聖は空気のように澄んだ声で笑うと、楽しそうに言った。
「あ、そうだ。昨日さ、あの千波ちゃんが合コン終わった後、司紗くんの携帯番号を知りたいけど聞けないから教えて欲しいって僕に言ってきたんだよ。んで、一応彼女のメアド預かってるんだけどさ、どうする? 司紗くん」
「え? 僕の携帯番号をですか?」
 きょとんとした表情で、司紗は聖に訊き返す。
 聖はニッと悪戯っぽく笑みを浮かべると、さらに続けたのだった。
「もう不倫はやめるみたいだよ、彼女。妻子ある男なんかよりも、好きな人ができたんだってさ。てか、司紗くんって有能な術師なだけじゃなくて男前だからねーっ。この、色男っ」
「…………」
 ふっと嘆息し、司紗はそっとサラサラの漆黒の前髪をかき上げる。
 それから、ゆっくりとこう答えた。
「そのメアド、受け取れませんから。彼女はもう大丈夫でしょうし」
「まったく、司紗くんってば真面目なんだからさー。千波ちゃん結構可愛いし、お友達でもいいんじゃない?」
「僕は彼女の妖退治のために呼ばれたんでしょう? 役目は果たしたはずですよ」
 それだけ言って、司紗はスタスタと歩き出す。
 聖はそんな司紗の返答を分かっていたかのように微笑むと、彼の隣に並んだ。
「そう言わないでってば、司紗くーんっ。あ、そうそう、そう言えば豆狸のヤマダくんなんだけどさ、気に入った子に早速振られちゃって、めっちゃ凹んでたよー。まずはお友達から始めて様子見なきゃなのに、せっかちなんだから。あ、ヤマダくんがまた司紗くんと一緒に合コンに行きたいってさ」
「彼は貴方と違って純粋そうですから、あまりからかったら可愛そうですよ」
「まぁ、また彼とは遊んでやってよ、司紗くん。彼も君のこと、すごく気に入ってるみたいだし」
「ていうか、何度も言いますが……僕は術師ですよ? 妖怪と術師が仲良くするなんて、聞いたことがない……」
 はあっとひとつ溜め息をつき、呆れたように司紗は呟いた。
 聖はそんな言葉にもにっこりと笑顔を浮かべ、それからこう言ったのだった。
「妖怪とか術師とか、そんなの関係ないってば。“合コン同好会”のメンバーの資格は、僕が気に入ってるか気に入ってないかだからさっ」
「もしかして……僕もその、“合コン同好会”とやらのメンバーなんじゃないでしょうね?」
 ちらりと横目で見る司紗に、聖は無邪気に答える。
「やだなぁっ、バッチリ一員に決まってんじゃんっ」
「…………」
 どうせこの人に何を言っても、自分はもう強制的にメンバーになってしまっているのだろう。
 司紗はそう思い、諦めたように再び嘆息した。
 そしてその後、ふと背後を振り返る。
 そんな彼の漆黒の瞳に飛び込んできたのは。
「司紗くん、おはよう。あれ、聖くん?」
「和奏ちゃん、おはよーっ。久しぶりだねぇっ、今日も可愛いなぁっ」
「どうしたの? 聖くん」
 ふと首を傾げて聖を見つめるのは、ちょうど通学途中であった和奏だった。
 聖はふっと悪戯っぽい笑みを浮かべると、彼女の言葉に答える。
「司紗くんと僕の男の友情を深めてたんだ。何てったって司紗くんとは、昨日一緒に合コ……」
「和奏ちゃん、おはよう。学校、一緒に行こうか」
 咄嗟に聖の言葉を遮るようにそう言ってから、司紗は和奏ににっこりと柔らかな笑顔を向けた。
 そして彼女を伴い、そそくさと足早にその場を去ろうとする。
 和奏は首を傾げながらも聖に手を振り、そんな司紗と並んで歩き出した。
 聖はくすくすと楽しそうに和奏に手を振り返しながら、司紗に声を掛けたのだった。
「司紗くーん、また連絡するからっ。次の機会を楽しみにしてるねー。あ、それから和奏ちゃん、僕の可愛い愛息子・雨京によろしくーっ」
「聖くんと仲いいんだね、司紗くん」
 もう一度振り返って聖に笑顔を向けた後、和奏は暢気にそう司紗に言った。
 司紗はそんな和奏の言葉に苦笑しつつ、まだひらひらと手を振っている聖を一瞬見る。
「仲いいかはともかく、彼とは何だか長い付き合いになりそうだよ……」
 仕方がないように、そうぽつりと呟いた後。
 それから司紗はまんざらでもなさそうに、ふっと端正な顔に小さく微笑みを宿したのだった。


番外編 狐と狸と女子大生・完



<あとがき>
番外編「狐と狸と女子大生」を読んでくださり、どうもありがとうございます!
この話は、密かに司紗くんが一番「狐」でお気に入りなマニアックな私のための自己満足な話だったりします;
少し本編とは雰囲気が違った、聖くんと司紗くんの仲良しな感じ(?)の話をと……あと、FTちっくなシーンも書きたくて。
あと豆狸のヤマダくん、出したいなーと前から考えてたキャラだったんですけど、本編で出てくる隙間がなかったんで(笑)
本当に私の自己満足以外何物でもない話で、申し訳ありませんでした;
これからは、皆様のリクが多かった和奏ちゃんと先生の話を数本更新する予定なので、またお付き合いいただければ嬉しいです。