黄金の天気雨_



 番外編 狐と狸と女子大生

 ――ある週末の夕方。
 学校の正門を出て帰宅していた白河司紗は、ひとり駅に向かって歩いていた。
 空を染め始めた黄金色の夕陽に照らされ、彼の漆黒の髪がほんのりと紅を帯びる。
 司紗は週末の街の喧騒に目を細めた後、おもむろにひとつ小さく息を吐いた。
 それから急にぴたりと足を止めて振り返ると、こう口を開いたのだった。
「何か僕に用ですか?」
 そんな司紗の視線の先にいたのは、ひとりの少年。
 少年は穏やかな笑みをその綺麗な顔に宿すと、楽しそうに笑う。
「こんばんは、司紗くん」
 ブラウンの前髪をそっとかき上げ、現れた彼・五十嵐聖は司紗に近づいた。
 そして、彼に訊いたのだった。
「ねぇ、司紗くん。明日なんだけど、司紗くん暇?」
「明日?」
 聖の口から出た意外な問いかけに、司紗は首を傾げる。
 それから気を取り直して答えた。
「明日は特に予定はありませんけど。何故ですか?」
「ホントに? わー、よかったぁっ」
 嬉しそうに無邪気に笑って、聖はサラサラの髪と同じ色をした瞳を細める。
 司紗はどうして聖が自分にいきなりそんなことを訊くのか疑問に思いつつも、彼の次の言葉を待った。
 聖はそんな司紗を見て、にっこりと微笑む。
 そして、こう言ったのだった。
「明日なんだけどさ、合コン来ない? 人数が足りないんだよね」
「……は?」
 全く思いもしなかったその言葉に、思わず司紗はきょとんとしてしまう。
 聖はお願いするように両手を合わせ、さらに詰め寄る。
「お願い、司紗くんっ。人数足りなくて困ってるんだよぉ」
 司紗は一生懸命頼む聖の姿に、はあっと大きく嘆息した。
「いきなりそんなことを言われても」
「司紗くーんっ、僕と君の仲じゃないっ。ね、いいでしょ? 行こうよー」
 今まで司紗は、術師としてたくさんの妖怪を見てきたが。
 妖怪が合コンに行くだなんて、今まで聞いたことがない。
 しかも聖は妖怪でも能力の高い妖狐な上に、伝説の神獣と言われている天狐なのである。
 それに自分は、妖怪を滅する立場である術師。
 ある意味、妖狐の聖とは敵同士であるといっても間違いではない。
 それなのに、この緊張感の無さはなんだ。
 半ば呆れる司紗に、聖は尚も食い下がる。
 聖の性格を考えると、承諾するまで引き下がらないだろう。
 司紗はもう一度深々と溜め息をついた後、仕方ないように言った。
「分かりました、行きますから。ていうか、合コンって誰とですか?」
「ありがとう、助かるよ! あ、安心して。相手は普通の人間の女の子だよ」
「普通の人間の女の子って」
 相手まで妖怪だと言われたらさらに困っていた司紗だったが、とりあえず相手の女の子は人間らしい。
 だが彼は、一体どこで普通の人間の子と合コンの約束をするのだろうか。
 司紗のそんな素朴な疑問を見透かすように、聖は笑う。
「フラフラと空を散歩してたらね、カワイイ女の子3人組がいたからナンパしたんだ。んで、3対3で合コンしようってことになったの。あ、明日はもうひとり僕の男友達を連れてくるから、仲良くしてやってねっ」
「ナンパって……何やってるんですか」
「これだけ長く生きてると、特にすることないんだよ。人間の女の子ってカワイイしね。それに司紗くんたち術師としても、僕たち妖怪が妖力使って何か悪さするより、ずっとナンパしてる方がいいでしょ?」
 くすっと笑い、聖はそう言って司紗に目を向けた。
「まぁ、それはそうですけど」 
 普通の妖怪ならともかく、聖のように圧倒的な妖力を持つ特別な妖怪を滅することは難しい。
 そう考えると、何か良からぬことをされることに比べれば、ナンパなど取るに足らない。
 司紗はそう判断し、これ以上何か聖に言うのはやめた。
 聖は楽しそうに笑顔を浮かべた後、ぽんっと司紗の肩を軽く叩く。
 それから手を振り、歩きながら言ったのだった。
「明日合コン18時からだから、17時半にここで待ち合わせでよろしくーっ」
「17時半ですね、分かりました」
 もうすっかり諦めたように、司紗は聖の言葉に頷く。
 聖はふっとそんな司紗の様子を見て、瞳を細めた。
「大丈夫だよ。きっと司紗くんにとっても、すごく興味深い合コンになると思うから。じゃ、楽しみにしてるね」
 次の瞬間、強大な神々しい光が弾ける。
 それから聖の身体は、まるで空気に溶けるかのようにふっと司紗の前から消え失せた。
 司紗は視線を上げて夕焼けの空を翔ける黄金の神獣の姿を漆黒の瞳に映しながら、ひとつ大きく嘆息する。
 そして再び帰宅すべく、駅に向かって歩き始めたのだった。



 ――次の日・土曜日。
 約束の時間ちょうどに、昨日と同じ場所に聖は現れた。
「司紗くーん、こんばんはぁっ」
 司紗はそんな彼にちらりと目を向け、ふと漆黒の瞳を細める。
 妙に楽しそうな聖の隣には、彼の友達であろう少年の姿があった。
「あ、僕の友達を紹介するよ。彼が、お友達のヤマダくん。こっちのハンサムな彼は、白河司紗くんだよ」
 聖はそうお互いを紹介し、司紗とヤマダくんという彼を交互に見る。
 聖の連れてきたヤマダくんとやらは、見た目も素朴でいかにも人が良さそうな、あまり垢抜けしていない感じの少年だった。
 ヤマダはその人懐っこい顔に笑顔を宿し、司紗に気さくに話しかける。
「ヤマダっす、今日は仲良くしてやってくださいっ」
「こちらこそよろしく、ヤマダくん」
 司紗はそう彼に言った後、小さくひとつ息をついた。
 そしておもむろに表情を変えると、こう続けたのだった。
「ところで……ヤマダくんも、妖怪みたいだけど」
「ええっ!? ななな、何でそれをっ!? 俺の変化、どこか違和感ありますかっ!?」
 ヤマダは司紗の言葉に、異様にオタオタしながら自分の全身を見回す。
 聖はそんなヤマダの様子に笑った。
「あ、言い忘れてたよ。司紗くんはすごく優秀な術師なんだよ、ヤマダくん。てか、さすが司紗くんだね。ヤマダくんの正体もすぐ見破るんだもん」
「うわっ、じゅっ、術師なんすか!?」
「…………」
 司紗は険しい表情を浮かべたまま、聖に目を向ける。 
 そんな彼に視線を返した後、聖は慌てるヤマダに優しく言った。
「大丈夫だよ、ヤマダくん。司紗くんは僕のお友達だよ。それに司紗くん、ヤマダくんも僕の友達なんだ。この僕の前で彼を滅するなんてことできないのは、頭のいい司紗くんなら分かってるよね?」
 そう言ってくすっと笑みを宿す聖に、司紗は嘆息する。
「僕だって、むやみやたらに妖怪を滅しようとしたりはしませんよ。何も人間に害を及ぼさなければの話ですけど」
「ま、別に妖怪とか人間とかどーでもいいよ。カワイイ女の子と楽しく合コンできればねっ」
 司紗の言葉を聞いた聖は、無邪気に笑う。
 ヤマダはそんな聖のテンションにつられるように固かった表情を和らげ、司紗に頭を下げた。
「改めまして、俺、豆狸(まめだぬき)のヤマダっす! まだまだ変化の術もままならない未熟者で、合コンっていうのも初めてなんすよ。白河の旦那、今日はひとつよろしくお願いしますっ」
「ヤマダくんって、豆狸なんだ……それに白河の旦那って」
 豆狸とは、文字通り狸の妖怪である。
 狐の妖怪の聖と狸の妖怪である彼が仲が良いのが、すごく意外だったが。
 よく考えると、聖は術師である自分でさえ、気に入って友達だと言っている。
 そんな聖の性格を思えば、普通はあまり折り合いのつかない狐と狸が仲良くてもそう不思議なことではないのかもしれない。
 むしろもう、司紗はそう開き直ることにした。
 それにいくら未熟とはいえ、ヤマダは自分の何倍も長生きしているだろうのに。
 やたらと腰の低い彼の様子に、司紗は仕方ないように溜め息をつく。
 それから気を取り直し、司紗は聖に言った。
「ところで、ヤマダくんはヤマダなんて言うの? それに僕たちの関係は? 口裏を合わせておいた方がいいかも」
「そうだね。あ、相手の女の子たちが近くの女子大の子だから、僕たちも大学生ってことで。よろしくーっ」
「……年齢詐称もいいところですね、全員」
 何百年何千年と生きている妖怪と、高校生。
 誰も実年齢と合っていないどころか、聖やヤマダは一体何歳サバを読んでいるのか。
 そう思いつつも司紗は、もうツッこむこともしなかった。
「それにそういえば、ヤマダくんの下の名前を決めてなかったねぇ」
 うーんと考える仕草をし、聖はしばらく口を噤む。
 それからパッと何かを思いついたように表情を変えると、こう提案したのだった。
「あ! いい名前思いついたっ。確かアイドルに、ヤマダくんっていたよね。そのアイドルと同姓同名で、ヤマダタカオにしよう、うんっ」
「アイドルっすか、何だかカッコイイっすね!」
「…………」
 アイドルって言っても、座布団を運ぶ下町のアイドルじゃないか。
 そう喉まで言葉が出かかったが、当のヤマダくん本人も気に入っているようであるし。
 それに今時の女子大生が、下町のアイドルを知っているかも定かではない。
 自分は高校生だということを棚に上げながらそう思い、司紗はウキウキな様子の妖怪ふたりに目を向ける。
 そもそも、どうしてこういう状況になったんだろうか。
 司紗の家は、代々由緒正しい術師の家系である。
 父も祖父も根っからの術師で、司紗は幼い頃から霊力の鍛錬や体術の訓練、術師としての心得をいやというほど教わってきた。
 なのに滅すべく存在であるはずの妖怪と、今から合コンに行くという現状。
 いいのかと心のどこかで思いつつも、司紗は楽しそうな聖たちを見つめる。
 今までは、妖怪といえば過剰に反応していたのだが。
 相手が本当に滅すべき存在なのかどうか、見極めることも大切なのかもしれない。
 そう、最近思い始めてきたのだった。
 聖は相変わらずワクワクした様子ながらも、司紗に目を向ける。
 それからにっこりと笑顔を宿し、彼の心をまるで覗いたかのようにこう言った。
「やっぱり僕は君のこと好きだよ、司紗くん。さ、張り切って行こっか」
「白河の旦那、早く行きましょうっ」
 自分を手招きする彼らに小さく笑みを返してから、そして司紗も聖とヤマダに続いて歩き出したのだった。



 合コン開始時間より少しだけ遅れ、相手の女の子たちは待ち合わせの居酒屋風レストランにやって来た。
 だが3対3のはずが、どうやらひとり遅れてくるらしい。
 そして聖が気に入ったということもあり、彼女たちは見た目可愛らしい女の子たちだった。
 特に聖やヤマダのように気合を入れて臨んでいるわけでもない司紗は、彼女たちの話に無難に合わせながらもそれなりに楽しく食事をしていた。
「ねぇねぇ、血液型って何型?」
 女の子のひとりが、そう男性陣に訊く。
 その何気ない女の子の問いに、司紗は心配気に妖怪二人組を見た。
 妖怪に血液型があるんだろうか。
 そんな心配をよそに、合コンし慣れているような聖は綺麗な顔に微笑みを宿して言った。
「僕はB型だよー。ヤマダくんはA型だったよね、確か」
「えっ? そ、そうっすね。エーガタです、俺っ」
 きっと血液型が何なのかもイマイチ分かっていなさそうなヤマダは、さり気ない聖の助け舟に大きく頷く。
 そんな彼に、面倒見はいいのだなとほんの少しだけ感心しつつも、司紗は言った。
「聖くんは、いかにもB型って感じだよね」
 果たして本当に聖がB型なのかは分からないが、マイペースなところはいかにもB型っぽい。
 聖はテーブルに頬杖をつき、美味しそうにお酒を飲みながら司紗に訊いた。
「やっぱりそうかな? よく言われるんだけど。そういう司紗くんは?」
「聖くんはO型かと思ったー。司紗くんって、A型っぽいよね」
「うん。司紗くんは、A型っぽいよ」
 聖の言葉に、女の子たちが口々にそう言う。
 司紗はそんな彼女たちに優しく笑顔を作り、首を振った。
「ううん、僕もB型だよ。でも初対面の人には、何故かよくA型っぽいって言われるんだけどね」
「えー、Bなの!? 見えないーっ」
「絶対司紗くんはAだと思ってたんだけどなぁっ」
 楽しそうにキャッキャッと盛り上がる女の子たちから、司紗はふと隣の聖に目を移す。
 そして、小声で訊いた。
「ていうか、妖怪にも血液型ってあるんですか?」
「ううん、ないよ。でも女の子って、血液型の話大好きでしょ。んで半妖の息子・雨京がB型だから、じゃあ親の僕もB型にしとこーって」
「雨京先生も、モロB型な感じですよね」
 あの雨京先生の普段のある意味マイペースな言動を思い出しながら、司紗はしみじみとそう呟く。
 そんな会話を聞いていたヤマダは、ふと司紗に言った。
「女の子はケツエキガタの話が好きなんすか、勉強になるっすっ。ところで白河の旦那、ケツエキガタとかエーガタとか、それ何っすか?」
「……今説明したら長くなりそうだから、後で聖くんに教えて貰ったらいいよ」
 苦笑してヤマダにそう言って、司紗はウーロン茶をひとくち飲む。
 合コン慣れしている聖は、B型とO型は相性がいいだとか、さらに女の子たちとの血液型トークを広げて盛り上がっていた。
 ヤマダは一生懸命にそんなトークを聞き、熱心に会話の勉強している。
 司紗はそんな彼らの様子を見てちらりと時計に目をやった後、ふっと顔を上げた。
 ――その時。
「お待たせ。遅くなってごめんなさい」
 タッタッと司紗たちのテーブルに駆け寄ってきたのは、ひとりの少女だった。
「あっ、遅いよー」
「待ってたよぉ、千波(ちなみ)」
 女の子たちは遅れてやって来た彼女に、口々にそう声を掛けた。
 どうやらこの千波と呼ばれた彼女が、3人目の合コンのメンバーのようである。
 改めて再び全員自己紹介し終えた後、千波も和気藹々とした合コンの輪の中に入る。
 これでようやく、当初の予定通り3対3の合コンとなったのだが。
「…………」
 司紗は何故かその表情を、微妙に変えていた。
 聖はそんな彼の様子に気がつき、席を移動する。
 そして彼の隣に座り、司紗にしか聞こえない声でこう言ったのだった。
「言ったでしょ? 司紗くんにとっても、興味深い合コンだってね」
「貴方が僕を呼んだ理由、やっとわかりましたよ……それにしても貴方って、本当にタチが悪いですね」
 そう言って司紗は、わざとらしく嘆息する。
 くすっと悪戯っぽく笑いながら、聖は綺麗なブラウンの瞳を細めた。
「いやだな、誤解しないで欲しいな。司紗くんを呼んだ理由は、僕が君のことを気に入ってるからだよ? お互い合コンを楽しもうよ、ね?」
 司紗は聖のその言葉の後、おもむろに何かを考えるような仕草をする。
 それから何事もなかったかのように顔を上げると、再び女の子たちと無難に会話をし始めたのだった。